顔を上げる。前を見る。
金曜日の昼過ぎ、航空自衛隊のブルーインパルスが東京上空を編隊飛行すると聞いて、近所の見晴らしのいいところまで出かけてきた。
予想していた通り、「こんな時に」とか「税金の無駄」とか「他にやることがあるだろう」という声も聞こえてくる。
しかし、陣取った坂の上で「格好いい!」「きれい!」と歓声をあげている保育園の園児たちに邪気などあるはずもない。単純に格好いいものを格好いいと思える彼らのまともさがなんとも眩しかった。
背景や動機に姑息な意味付けをしてた輩がいなかったとは思わないけれど、パイロットたちは予算の中で許可されている回数の1度を東京上空の飛行に充てたのだろうし(自衛隊病院の”同僚”の陣中見舞いだったんじゃないかとすら思う)、たった6機のアクロバット飛行部隊が飛ぶだけで、あれほど多くの人の顔を上げさせたのだから、それでよかったんじゃないかと思う。
たった20分程度のフライト、しかも1分にも満たない時間、上空を通り過ぎるのを見上げているだけで、「日本すごい」とか「政府ありがとう」とも、「税金の無駄」とか「他にやることある」と思えるのは、どういう思考のメカニズムなのか、僕には皆目検討がつかない。
青い空に白い線が伸びた。それだけのものだ。
そして、それだけのものであっても −−−− 永田町が権力を好き勝手に使うばかりの無駄な連中の塊であっても、霞が関が自己保身最優先の無責任な連中の塊であっても −−−− 意味とか解釈以前に、美しいものは美しいのだ。
僕は過去に数回だけフルマラソンを経験したことがある。
ゴールすることだけが目的の市民マラソンだから、タイムなど胸を張って言えるようなものではない。
とにかく陸上の運動はどれも苦手で、特に長距離など自分の人生とは無縁の代物と思って生きてきたのだが、ことの成り行きでフルマラソンに出る羽目になってしまったのだ。
10キロくらいなら我流でもどうにかなるものだろうが、フルマラソンともなれば、ある程度、きちんとトレーニングを受けないとカラダが壊れるだろうなと、ジムのトレーナーがコーチをする初心者向けのランニングサークルで指導を受けた。
「市民マラソンでいちばん大切なことはなんだと思いますか?」とコーチに聞かれたものの、走ることとは縁遠い人生である。答えなどわかるはずもない。
「いちばん大切なのは、最後まで楽しく走ることです」
それが答えだった。
自慢じゃないが、体育の時間、持久走で3キロ走ったのが最長不倒距離である。14倍も長く走るのだ。楽しいわけあるか!と内心思った。
「では楽しく走るために大切なこと。これはなんだと思いますか?」
「友達と一緒に喋りながら走る」「マイペースで走る」と数人から答える声が上がった。
どれも間違いではなかったが、そのために正しいフォームで走ることが重要なのだとコーチは言う。
確かにその通りだ。「正しいフォーム=つかれないフォーム=余裕のあるフォーム」ということだ。
そして、正しいフォームの基本中の基本は「顔を上げること、前を見ること」なのだと教えてくれた。
走っていて辛くなってくると下を見てしまう。弱気になる。背中が丸まってしまう。腕を振れなくなる。前に進まなくなる。だから顔を上げる。前を見る。
まるで人生のようだなと思った。
ブルーインパルスの編隊が残したスモークの航跡が流れて行くのを見上げながら、その時のコーチの言葉を思い出した。
短い時間でも顔を上げた人がたくさんいた。
それで十分ではないか。