AMBITIOUS JAPAN!の20年
一昨日、東海道新幹線の車内チャイムが新しくなり、聞き慣れた『AMBITIOUS JAPAN!』は7月20日をもって聞き納めとなった。
2003年の品川駅開業以来、20年ものあいだ使われていたのだから、メロディチャイムの終了に実に多くの人が感慨を抱いていることに少々驚いた。僕もそのうちの一人だ。
一口に「20年間」と言ってしまうと時間の感覚が曖昧になってしまうのだが、20年という時間は考える以上に長い。
太平洋戦争の終戦から1回目の東京オリンピックまでの間が20年。焼け野原だった東京に首都高速が作られ、残っていた江戸の堀のいくつかは残土と瓦礫で埋められ、そして東海道新幹線が走り始めた。20年はそれほどの変化を起こすことができる時間なのだ。
5歳で初めて新幹線に乗った人は、今25歳。子供の頃から社会人に立場が変わるまでの間、その人は新幹線に乗るたびに『AMBITIOUS JAPAN!』のチャイムを耳にしていたことになる。
新幹線に乗る理由もきっと様々だっただろう。
旅行、帰省、上京、就職、進学、転勤、遠距離恋愛、失恋、友人の結婚式や、親戚の弔いごとなど、新幹線に乗る理由は都度違ったかもしれない。
理由の如何を問わず、新幹線のチャイムは何の変わりも斟酌もなく、基準線のように同じところを同じように流れ続けたのだから、今回のチャイムの変更に感じるものも人によって様々なのは当然のことだ。
音楽は記憶と密接に結びついている。
普段は記憶の底に沈んだままの思い出が音楽によって突然よみがえることも珍しくない。
ずいぶん前のことだが、写真家の熊谷聖司さんと「今の若い人たちは20年後にどんな音楽を共通の体験にできるんだろう」と話したことがある。
熊谷さんは全くの同世代なので、社会的な音楽体験がかぶる。個人的な音楽の趣味は少々違うけれど —— 彼はTelevisionの『Marquee Moon』が好きだと言うけれど、僕はニューヨーク・パンクよりロンドン・パンクの方が好きだとか —— 生活の中で聞こえてきてしまう音楽は共通している。歌謡曲であれなんであれ、時代の中で大ヒットした曲は否応無く耳にしてしまうし、それはやがて同じ時代を過ごした同士では共通言語になっていく。
熊谷氏と僕にとっては松田聖子の「赤いスイートピー」はまさにそうした曲のうちの一つだったわけだが(お互いにファンでも何でもないのだけれど)、彼と「今の高校生は20年経ったら初音ミクの話をして昔を懐かしがるのだろうかねえ」と何だかよくわからない未来の心配をしていたのだった。
今回の車内チャイムの変更で、YouTubeやTwitterにオルゴール調にアレンジされた車内チャイムの音がたくさんアップされた。
録音の状態を問わず、耳にすれば京都に遊びにいくときの気分や、大阪に出張で出かけたときのことなど、楽しかった記憶も、いまだに腹立たしい記憶も、旅が始まるワクワクも、間も無く帰京する安堵感も、すべてがフラットに、はっきりと蘇る。
たかだか新幹線の到着を知らせる数秒の音楽でしかないのに、ある種のノスタルジアと共に、これほど記憶と強く結びついている音楽があったのかと初めて気がついた。
熊谷氏とは20年後の共通言語は初音ミクか?などと言っていたけれど、車内チャイムの『AMBITIOUS JAPAN!』は、この20年の間に新幹線を利用した人たちの共通言語になるはずだ。
(いや、初音ミクだっていいんだけど、それぞれの思い出に直結してる強度では敵う相手じゃないよな。チャイムの上に積み重なっている思い出の質量が桁違いだろうし)