年頭の書き殴り
2022年の始まりに際して、今年もモットーのようなものを掲げた。
実は「今年の目標」というのが子供の頃から苦手で、「みなさん、自分の今年の目標を1つ掲げましょう」と言われても、いつも違和感を抱きつつ、目標らしきものをひねり出して、後ろめたさとともに掲げていた。
いつの頃だったか、いわゆる「今年の目標」が持つ具体性に気持ち悪さの原因があると気がついて、それ以来、できるだけアバウトな、側から見たら何を言ってるのかわからないようなモノを1年間の基本的なスタンス、モットーとして心にとどめておくようにしている。
ちなみに2022年のモットーは
1.手も足も口も動かし続ける
2.できるだけ飽きない
この二つである。
我ながら阿呆丸出しのスタンスだなと思う。でも僕にしてみれば立ち止まることなく、かといって年がら年中忙しく動くでもなく、ただひたすら止まらないでいるというのは重要なのだ。
それが結果として「飽きない」ことにも繋がれば最高だけれど、何かに飽きるにせよ、続くにせよ、動き続けるということとはレイヤーの違うことなのだと認識している。
犬も歩けば棒に当たるとはよく言うけれど、棒に当たってもタダで起きなければ良いだけのことで、小器用に棒を避けて通るより面白いのではないかと思うわけだ。
ちなみに去年掲げたモットーのうち「完全を目指さない」「長時間続けない」という二つは今年もちゃんと継続である。
下手くそが完全を目指すなんてのは無い物ねだりの極北で、幻想妄想の類で、散歩のついでに月に行くようなものだ。やってできない努力の最先端にあるものをわざわざ目指すのは酔狂ではあるけれど、あまり健全でもなければ正常でもない。それほど人生に長い残り時間があるわけでもないのだから、省力化できるところは省力化して、最短距離を最速で行く方が良いに決まっている。
もののついでというわけではないが、(前にもちょっと書いたが)今年の念頭から以前使っていた筆名に戻すことにした。
妙な名前と思われるだろうが、これは祖父の名前である。
祖父は僕が2歳になる前に他界しているので、ほぼ記憶はない(本当にかすかに記憶があるのだが、それが祖父だったのかどうか、確かめるすべもない)。
祖父の名前をそのまま筆名に使うのはどうかとも思うのだけれど、こういう形ででも使わなければ一介の地方の農家の主であった祖父の名などどこにも残らずに消えていってしまう。
僕が書き散らすようなことが祖父の名前で公の場に出て行っていると知ったら、もしかしたらえらく怒られるかもしれないが、どっちに転ぶかはまだわからないし、まずできることは祖父の名前を消さないということに尽きる。そういうこともあってずっと使っていたし、明治男の名前にしては「森」という名前はやけに斬新な感じがして、僕には好ましいものなのだ。
ちなみに祖母は「静」さんで、夫婦合わせると、まるで湖畔の陰でカッコウが鳴いていそうな組み合わせである。
よもや名前に惹かれて結婚したわけではなかろうが、本人たちがどう思っていたのか、聞く機会がなかったのが悔やまれる。
「狐塚」さんもなかなかお目にかからない苗字だし、犬塚さんや鬼塚さんと大した違いはないのに、受ける印象に妙にスペシャル感があるところがまた筆名には面白く感じる(若い友人には「そのペンネームはなんだか祟られそうですよね」と言われたこともあるけれど)。
まずは飽きずに止まらずに1年間、あれやこれやとやっていくことになるでしょう。
トラぬタヌキの皮算用とならないように、妄想幻想はほどほどにしなければ(そういえばトラの威を借るキツネってのもあったな)。
そんなわけで、よろしくおつきあいのほどを。