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記憶にございません
先輩写真家から、私家版の写真集を作るにあたって題字を彫れとご下命を賜り、今月の初めからちょこちょこと版木を彫っていた。
版画は以前手遊びでやっていたものの、ここ10年、まともに彫ったこともなかったもので、なかなか手こずった。
題字の書かれた原稿をもらって彫るだけかと思っていたら、「ついでに字も書け」と仰せつかったおかげで、苦しさ倍増となったのだった。
そりゃ普段から文字は書いてるけれど、デザインで書いてるわけじゃなくて、文章書いてるだけだからねえ。字なんか汚くても読めりゃいい、他人が読めなくても自分でわかりゃいい。見た目の綺麗さで誤魔化せるのはゲレンデのおねえちゃんの専権事項で、物書きは見た目より中身が重要なんだから、そんなやつに「字も書け」と言われてもねえ、というのが結構素直な感想。
それでもちょっと面白そうだったし、かかる手間まで含めて遊べそうだったから、二つ返事で引き受けた。
不必要にめまぐるしくて、無駄に変化の早い現代社会で「10年ひと昔」という言葉はすでに死語を超えて化石になってる気もするが、版木を彫るなんて自分一人のことだというのに、手が全く覚えていない。これには驚いた。
引き受けた時は「あれだけやってたんだから、すぐに思い出すだろ」と踏んでいたのは大間違いだったのである。
まず木目を読むのを忘れてるし、刃を当てる角度はいい加減ですぐに突き立ってしまうし、紙を湿らせるのを思い出したと思ったら、今度は絵の具が滲むほど湿らせてしまって、慌てて拭う始末。
混ぜる糊の量も忘れてりゃ、バレンの回し方も、圧をかける順序も忘れていて、思い出すまで反故を山盛り作ってしまった。
手遊びとはいえやりだすと止まらない体質なのは代わりがなく、一時期は相当熱心にやっていたのに、何から何まで忘れているということは身についていなかった証拠。自分のものになってなかったんだなあと狭い部屋の中で遠くを見てしまったのだった。
さすがにまた彫刻までやろうとは思わないし、ここでカンカンと鑿を振るうわけにもいかないから、木彫は版画止まり。
すっかり忘れていたショックを払拭するくらいまではもう一度版画をやろうと決めた。
まあ遊びだから、昔のように道具を揃えずとも、ダイソーあたりで手に入れられる道具で代用して、その範囲でやればいいや。
道具の質の低さは工夫するいい理由になるから、今度はきっとしっかり覚えられるはずだ。
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