政教分離と氷いちご
故安倍元総理への銃撃事件から影に隠されてたものが覆いを外されたみたいに旧統一教会に関するニュースが増えた。
政教分離という「お題目」「建前」があるとは言え、相手は思想心情の内側に溶け込んでしまうものである。溶けたかき氷からいちごのシロップだけをどうやって抜き出せるのかという手の出しようのないシロモノだけに、何をどうすれば良いのか、検討もつかない。
僕はよく「実現する見込みのない希望は絶望よりタチが悪い」と言うのだけれど、向かうべき方向ははっきりとしているのに、そこに辿り着く手段がどこにもないというのはなかなか厄介だと感じる。
追い出そうにも追い出せず、洗えば落ちるような代物でもない。言ってみれば癖とか習慣と似たようなものなのかもしれない。
20世紀以降、科学は現代で最も信じる者の多い宗教だと思っている。「科学的」と言われただけでなんとなくそうなのかと納得してしまうところなど、信仰そのものに見える。
もちろん難解な数式を見せられても理解などできるはずもないし、法則の原理も構造も、何がどうしてそうなるのかも全然わからなくても「まあ専門の研究者が言ってるんだから」と納得してしまうところなど、信者のメンタリティと何も変わらないように見える。
僕は信仰心などカケラもないし、興味もない。
禅宗の寺を継いだ大叔父に「仏さんの教えって言ったって、ヒンドゥ語で書かれたものが中国語に翻訳されて、そこから日本に輸入されるまでの間にどれだけ付け加えられたかわからないじゃん」と言ったら、「この無信心者が!」と怒られた筋金入りである。
歴史を振り返れば、為政者たちが信仰を統治のツールの一つとして都合よく使ってきた事例など山のようにあるのだから、宗教の中身を知らずとも、信仰と政治は相性が良い事は想像がつく。
日本は国民の半数近くが「自分は無宗教」だと考えているらしい。
クリスマスの一週間後には初詣にお寺と神社をハシゴして、ご朱印帳にはこれまた神社とお寺の朱印が混在しているおおらかな国なのだから、無宗教が半分と聞いても「半分しかいないの?」と驚くくらいだが(葬式以外で読経も念仏も聞いたことがないのが普通の国を仏教国とは言わないだろうし)、こういう曖昧な国だから余計に政教分離は重要なのかもしれない。何かを信じるという心のありように関しては、日本の半分の人は白紙状態——悪く言えばどうとでも転ぶ状態——なのだし。
「選挙の応援で力を貸してもらった」というコメントが目立ち始めた。
まさに「為政者が都合よく使う」最新の見本ではないか。
使っているつもりが、いつの間にか使われているというのも、これまた歴史上何度も繰り返してきたことなんだけどねえ。
何かというと「後世の歴史家の判断に委ねる」と言う割に、歴史の勉強をしてないことに呆れる。
政治と宗教も、瓶詰めのドレッシングみたいに放っておいたら分離するものなら簡単で良いんだけど。
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