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【お久しぶりです】3ヶ月、更新を止めていて思ったこと。コロナ渦中と精神疾患と。

こんにちは、樹タオルです。

毎日更新をやめてから、3ヶ月も経ってしまいました。
この3ヶ月の間に、世の中はガラリと変わりましたね。


新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な流行、それに伴う緊急事態宣言と外出自粛…。
私たちの生活は、前とは全然違うモノとなってしまいました。

noteの更新をやめた2月下旬には、こんなにも縮んでかたくなってしまう世の中になるとは想像しておらず、
「ちょっと更新のお休みを取ろうかな」
くらいにしか思っていませんでした。

「この人、生きているのかな…」
とご心配してくださった方。
大丈夫です。
私は無事に生きております。

今回、またnoteの更新をしようと思ったのには、訳がありまして…。

話せば長くなりますし、どこまで話そうかも迷っているので、
できる限り伝わりやすい文章になるよう努めていきたいと思っています。

お付き合いくださると嬉しいです。


休止期間のことを話す前に


更新を止めてからのことを話す前に、
話しておきたいことがあります。

私は、
双極性障害(うつ状態と躁状態との両方の症状が出る)という精神疾患があり、
今は『寛解』状態(全治ではなくて、症状が落ち着いている状態)にあります。

『寛解』となったのが"いつから"なのか….。
言い切るのは難しいですが、
薬を飲まなくなった≒寛解としたら、
2019年の9月から、です。

2019年の7月頃から、うつも躁もほとんどなくて、
定期検診のときに主治医から
「服薬はなしでも、日常生活を送れる」
との判断をいただきまして、薬を飲まなくなりました。

「薬を飲まなく大丈夫」

そのことが、どれほど嬉しいことだったか!
今でもその時の気持ちを、ありありと思い出せるほどです。


『寛解』状態となってから、早8ヶ月…。

その期間、
「症状はまったくなかったのか」
「どんな生活をしていたのか」

ざっくり話していきます。


『寛解』したあと、症状はあったのか


『寛解』状態となってからは、
症状があったのか、それともなかったのか…。

結論から言いますと、
「症状はありました」

はっきり言うと、
病院に通いながら薬を飲んでいた時の私と比べると、
「(ほとんどないけれど)症状はありました」
が、一番しっくりくるかなと思います。

症状もなく過ごせた日々があったのは、
今までの私を理解して、
「どうしたら症状なく過ごせるか」
を一番に考えた行動があったからだと思います。


どんな生活を選んだのか


私の場合、症状が毎年とくに出やすいのは、
気温が下がり、日照時間が短くなる冬場です。


どんよりとした空、寒くて肩こりばかりの日々…。
うつうつとした気持ちのたまるのが、冬です。


薬をやめた私にとって、
最大の山場である冬を迎えた2019年12月。
私はある決断をしました。

「職場を辞めよう」

そのとき私が勤めていた職場は、
仕事中のしんどい気持ちを休みの日まで引きずってしまい、
双極性障害の症状を悪化がたくさんある、
私にとって辛いものの塊のような場所でした。
※詳しいことは、また別の機会にお話しします。

服薬なしと診断を受けた日からの私は、
「せっかく『寛解』したのに、この生活を続けていたら、また悪化を繰り返してしまう…」
「でも、仕事をやめるなんて…」
迷いに迷う日々を過ごしていました。


多くの時間を使い、悩み抜いた私が出した答えは、
「大切にしたいモノを守るために、仕事を辞めよう」
でした。


幸いなことに、
辞めることを理解してくれたこと、契約社員として働いていたこともあり、
年末までの勤務とさせていただけました。


年が明けた2020年。
人生で初めての休職期間が始まりました。

そしてもう一つ、人生初のことがありました。


"双極性障害の症状を悪化させることを、
ほとんど無にして迎えた、心に余裕のある冬"
です。

心に余裕のない冬場は、今思うと大変なものでした。

うつの症状が少しでも出ようものなら、
「これじゃ悪化しちゃう!どうしよう…!」
と、オロオロして悲観的になり、余計に悪化させてしまって…と。
『うつになってしまう自分』に異常なほど敏感で、余裕のない時間を過ごしていました。

今回の冬は、うつうつとした気持ちになり始めたら、
「うつっぽいのが来たな!よし、息抜きをしよう」
と、自分の好きなことや、リラックスできるストレッチなどをしていました。

心に余裕のあるってすごいですね。
ちょっとした躁とうつはあったものの、
症状の悪化はなく、
冬場を過ごすことができました。


症状のない中で迎えられた春の、なんと嬉しいことやら。
…そんな中で、
今の世の中となったしまった原因のコロナウイルスの大流行がやってきました。


生活を混乱させるコロナ


コロナの大流行を一番身近に感じた出来事は、
『マスク、トイレットペーパーの品切れ』
でした。

どこのお店に行ってもマスクもトイレットペーパーもない。
空っぽになった売り場を見て、立ちすくんだのを覚えています。

「これは異常事態が起きている!」

そう思った途端に、
スパーンッと、
躁状態へスイッチ入ってしまいました。

いつも立っている5本のアンテナを30本まで増やしたように、
色々なことへ敏感になっていって…。

「世界の感染はどうなっているの?」
「正しい情報はどこ?」
「今は何に気をつけなきゃいけないの?」
「情報をたくさん集めなきゃ!」

頭は一気にフル回転となり、
自律神経のバランスが崩れていくのが、手に取るようにわかりました。

でも止められない。
止まらない。
加速していく躁状態。


ある時、一緒に暮らすパートナーのちょっとした行動に
「何それ!」
と、怒りが爆発しました。

そして、ハッとしました。

「今、私、躁状態になってる…!」

「あーあ、何でこうなっちゃうんだろう…」

『寛解』してからの、初めて症状が出たことに、かなりショックを受けました。 


緊急事態宣言へ


休日の外出を控えるように…
どこのニュース番組でもそう取り上げられた3月末。
気持ちを切り替えるためにしていたお出掛けができなくなりました。

そんな中でも、躁状態に片足を入れたままの日々が続きました。


「まずは、情報のシャットダウンから」
コロナ感染への不安から躁状態にしてしまう情報を、できる限り削ぎ落としていきました。


私は見て得た情報を、たくさん吸収しようとして煽られてしまいがちなので、
テレビの情報番組を見ることをやめ、
情報が欲しいときは聞き流せるラジオにしました。


躁状態にならずに過ごせるようになっていき、
「足元がしっかりしてきたかな」
と思えた矢先…。

東京都に出された緊急事態宣言。
本格的な外出自粛。

「これは、大変なことになった」
「情報のシャットダウンだけでは、心に重くのしかかるものがあるかもしれない」

そんなとき、読んでいた本の文を思い出しました。

『書く』という作業は、
本当に『懺悔(ざんげ)』と『浄化』だ。

女優でもありエッセイイストとして活躍されている、石田ゆり子さんのエッセイ『天然日和』にある言葉です。

思ったことを書く。思ったまま、書く。
それしができないし、
それによって、私の心は、
曇りガラスを拭ったように晴れる。
もしくは、整理され、風通しがよくなるのだ。


はっとする文章だった。
「今の私に必要なのは、これだ。心のモヤモヤを文字にしていこう。」

そこからは、
「毎日するぞ!」
と意気込むと、また躁状態になってしまうのが、私です。

書けるときに書けるだけを心がけて、
「何時に起きられた」
「こんなことでモヤモヤとした」
と、生活の中のちょっとしたことを手帳へ書いていきました。

懺悔はまだわかりませんが、
無造作に放置された気持ちを整理するような
心が浄化されていくような感覚はあります。

気持ちも躁状態も落ち着いて、
再び『寛解』状態へとなっていくのがわかりました。



そうして生活は続く


5月中には解除された緊急事態宣言。
かと言っていつも通りとはならず、
どこへ行くにもマスクと手の殺菌、
ソーシャルディスタンスは守らなくてはなりません。

まだまだ、前のような平穏な日々へは戻らないのかもしれません。
きっとコロナを乗り越えられたとしても、完全には元の生活を送ることはできないかもしれません。

それでも、未来はいい方向へと進んでいると信じて、
今日も誰にも見せない日々の記録を書き連ねています。


4月の終わりにあった私の大きな進歩について、このまま続けようかと思いましたが、
想像よりも長い記事になってしまったので、
また別にします。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


"細く長く、すこやかに"


(2020.6.3)











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