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手段が目的化した母

以前も話したように自分の中学時代は散々だった。
高校1の後半に訪れたコロナで自分は何故か数学と英語の勉強を始めた、おそらく未来への自分への恐怖だったのだろう。
案外とうまく行ってしまいコロナ明けの数学のテストでは文系でありながら理系と文系も含め学年2位を取ってしまった。
まぐれだと思いながらもその後も文系の中で数学と英語は毎回1位を取り続け高2の時は正直に言って模試では毎回無双状態だった。
そして、ある思いを抱くようになる「授業って無駄じゃね」と毎日6時間以上学校で拘束され意味もない授業を受けさせられ、ノートを取ってないと叱られたりとこんなのに毎日行くくらいなら自分で勉強した方がいいとしか思わなくなった。
ノートを叱る先生だって手段と目的が分離してるような人間だ、知識を蓄えるためにノートを取るか取らないの判断をするのでるのにいつの間にかノートを取ることが授業を聞いてることの「証明書」となりその証明書発行が目的化してる。
私は素人が書いたノートなんかよりも市販されている参考書の方が圧倒的にクオリティが高いし、そこに書き込んで勉強する方がいいに決まってるとしか思ってなかったからノート取ってる人は相当傲慢なのだなとしか思わなかったのでノートは一切取らなかったし見ることなんて有り得なかった。
そうしていくうちに迎えた高校3年生、高3のはじめてのテストで学年全体で駿台模試を受けた。
そうするととんでもない結果となった。

数学は文系数学なので文系では1位。
英語は文理共通で同率の1位だった。
そうして自分の抱いていた気持ちは確信に変わり、
母親にこう申し出た。
「高卒認定試験を受けて大学受験したい」と。
私の中では目的というのが大学合格なのだから、そこに至るまでの手段としての最適解は学校をやめて高卒認定を受けて大学受験するということでしかなかった。
それを説明したのにも関わらず母親は猛反対。
「高校だけは卒業してほしい」の一点張り、完全に手段でしかない高校卒業が目的と化してる。
そして母親が出た行動というのが私をさらに苦しめる。
先生にこのことを相談してしまったのだ。
そして、見かねた先生はなんとお節介なことに各教科の先生に「私が内職をすることを許してくれないか」と尋ねて回ったのだ。
そして後日そのことを担任に了承は得れたと告げられたがしかし、当然自分は内職なんて出来るわけもないし、担任に事情がバレてここまでしてもらったのに再び高卒認定受けたいなんて申し出れるわけもない。
こうして私は自分を押し殺しつぶれていき、ついには勉強すらしなくなった。
自分は結果を出してやっていけると証明してるのに何故母親は納得してくれないのだ。
完全に高卒認定を取ることが最適な手段ではないのかという思いが募りながら意味もない授業を聞かされるのがホントに嫌だった。
そして受験も適当にやり過ごし目指していた他の国立大学も諦め地元の国立大学に進学し幕を閉じた。
こうして今思うと他人ましてや母親だって誰も自分の人生の責任なんて取ってくれない。
なのに、偉そうに口出しだけはして人の人生を制御しようとしてくる。
そして今至った結論は
「その人の人生の責任を持ってから他人にアドバイスしろ」
なので私は自分の決断を左右するようなアドバイスは今後一切決めない、素直に聞いたところで誰も責任は取らない無責任な人ばかりだ。
今では19までにコレを経験できてよかったと思う。
19までの少ない経験で得た教訓を心に刻んで生きていこうと思う。

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