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【日録】2025.1.6 娘と共有できること

 ほんの少しだけ体調が悪かった。久々の雨が影響しているのかもしれない。雨は嫌いだ。散歩ができないし、星が見られないから。体調が悪いと何もする気が起きない。ひたすら眠っていたい。それができないからつらい。娘を風呂に入れたり、娘のごはんを作ったり、親はさぼっていられない。
 頭痛がひどくなり、少し休むねと娘に告げて2時間くらい昼寝をした。起きたら枕元に手紙があった。「だいじょうぶ?」「早くよくなってね」「おだいじに」。やさしい言葉が並んでいる。頭痛薬より効く言葉たち。娘は私の体調が悪くなると、必ず手紙を書いてくれる。私がいつもそうするからだ。親にしてほしかったことを自分の子どもにしている。そうして子どもだった自分を癒している。ただ、今日は手紙の最後に「風林火山」と書いてあった。風林火山??尋ねてみたら、四字熟語辞典を見ていて、気に入ったとのこと。ママも好きそうな字だなと思ったそう。 
 娘は「字」が好きだ。数字も、ひらながも、カタカナも、ローマ字も、漢字も。とにかく字を書くことが好きなようだ。愛読書は漢字辞典。辞典を見ながら、ノートに漢字ばかり書いている。まるで漢文のよう。

漢文?

 育児ノートを遡ってみると、娘は2歳11か月頃からひらがなとアルファベットを書き始めたらしい。(決して娘自慢をしたいわけではないです)初めて書いた字はなぜか「も」。
 ちなみに、私も幼稚園から小学生のときは、漢字を読み書きするのが好きだった。一番好きだったのは、青看に書かれた地名を読むこと。父の車に乗せられているとき、ちょっと変わった地名を読み上げると、賢いとほめられるのが嬉しかった。

 最近、娘が私の本棚に興味を持つようになった。ママの本借りていい?と言って、最近購入したばかりの本棚の前面に並んでいるものから、次々と取り出す。澁澤龍彦『快楽主義の哲学』、坂東眞砂子『欲情』、上野千鶴子『性愛論』など。(テーマの偏りが激しい)「なんて読むの?どういう意味なの?」と尋ねられると困ってしまう。「じぶんがおんなであるということにいぞんしていたのではたゆうになれません」なんて、7歳の子供が読んでいるとどきどきしてしまう。いくら書籍といえども、こういう類のものは奥にしまっておくべきなのだろうか。エロ本と同じように扱うべきなのだろうか。

 大人が夢中でやっていることに子どもは反応する。娘が読書好きなのは、私の影響だろう。けれど、私の親は本を読まない人だった。家には山菜採りを趣味にしていた父の、山菜ときのこのポケット図鑑しかなかった。(なのでそれを飽きるまで読んでいた)私が読書を好きになったのは、移動図書がきっかけだったと思う。 
 地元の村に図書館はない。公民館の一角に小さな本棚があるだけだった。月に1度か2度、移動図書のワゴンが団地に来てくれた。それが何よりの楽しみだった。私は公民館にはない星座の本をたくさん借りた。私の好みを覚えてくれた移動図書のおじさんが、星や天体の本を勧めてくれた。
 私が空や星や天体に夢中であることも、娘に影響を与えている。私の趣味で、プラネタリウムや科学館に頻繁に連れて行かれる。月や流星やISSを観ようと外に連れ出される。毎朝起きると、壁に掛けられた月齢カレンダーを確認するのが習慣になっている。
 強要しているつもりはないけれど、共有できるのが嬉しい。私は何ひとつ、母と共有できなかったから。


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