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【日録】2025.1.8 日録を書く理由をこじつける

 トップの画像は今日食べたりんご。蜜がたっぷりで甘かった。私はりんごが果物で2番目に好き(1番は柿)。冬季の蜜入りりんごにはめちゃくちゃ興奮する。「蜜」という漢字も「みつ」という響きも、なんだか妖艶で好き。椎名林檎も好き。カラオケで「罪と罰」をよく歌う。(どうでもいい)

 話は180度(いや360度?)変わって、私には瞬発力がない。運動神経が良さそうだとよく言われるが、足は遅いしジャンプ力も皆無。考える時間がなく、一発勝負で修正が効かない感じがとても不安だ。だから実は人と話すことはあまり得意ではない。会話には瞬発力が求められるからだ。後になって、あんなこと言わなきゃよかったとか、ああ言えばよかったと反省ばかりする。
 ただ、瞬発力がない代わりに持久力と忍耐力はある。だからマラソンや遠泳は得意。読んだり書いたりすることと同じで、じっくり、ペース配分を考えながら取り組めるのがいい。
 毎日更新をすると決めているわけではないが、今のところ毎日noteで日記や詩を書いている。ここには上げないが、こっそり小説も書いている。仕事でも広報記事やらなにやらを書いている。とにかく書いてばかりいる。
 この世には、読み切れないほどの面白い本や文章がたくさんあって、自分なんかが誰かに向けて何かを書いたりする必要はない。誰も求めてない。文章を書く時間があったら、読む時間に割り当てた方がいいだろうと頭の片隅で思っている。でも、書いている。

 ちなみに、私には日記を書く習慣がない。いや正式に言うと、母に日記を検閲され、習慣が「なくなった」のだ。
 小学生の頃から、作文が好きでノートに日記を書いていた。ある日、学校から帰宅すると、私の机の上に日記帳が開かれた状態で置かれていた。机の一番上の引き出しにしまっておいた日記帳。開かれたページには、赤いボールペンで弟の悪口が書き殴られていた。私が書いたものだ。
 勝手に見たことを批判すると、こんな汚い言葉を書く奴に言われたくないと逆上され、子どものものを確認するのは親の権利だと言われた。プライバシーの侵害なんてことは知らなかった。文通や交換日記が流行っていて、すべて母に検閲されているのではないかと不信感を持つようになり、日記は書かなくなった。交換日記は自分の番になったら学校で書いてすぐ次の子に回した。手紙は途中で書きかけたりしないで、封をしてすぐポストに投函した。相手からもらった手紙は辞書の間に挟んで隠した。辞書なら、カバーがあってわざわざ見ないだろうと思ったのだ。

 中学生のとき、小説を書きたくて父にワープロを買ってもらった。父の仕事場にはパソコンがあり、私もパソコンが欲しいといったが、さすがに高価で買ってもらえなかった。母はとにかく機械音痴だったので、ワープロなら検閲されないと思ったのだ。ワープロで書いたものを次々にフロッピーに保存していた。もう日記は書かなかった。日記に書き残すことなんかなかったから。書き残しておきたい日常を、日記ではなく小説や詩にした。つらいことも、楽しいことも、自分の物語の中で消化/昇華させていた。ではなぜ、noteで「日録」と題し、日記のような雑文を書いているのかというと、これは娘への書簡にもなっているのだ。
 
 私と娘は最近までノートで「交換日記」をやっていた。だが、元夫と同居し3人で暮らすようになってから、交換日記が娘個人の日記になった。私宛ての書簡ではなくなり、やたらノートの消費量が激しくなったので、ひとりで日記書く?といったら、そうすると言われたのだ。
 往復書簡が閉ざされたことと、ツイッター(X)で呟く習慣を断つことで、日々の細々とした出来事や思いを残す場所が欲しくなった。公開しなくてもいいかなと思ったけれど、ここは使い慣れているので書きやすい。多少人の目もあるのがいい。noteを使っているのはそれだけの理由。

 私が大学1年のとき、母が胃潰瘍で入院した。母からある書類を持ってくるように頼まれ、書類の引き出しを探しているとき、小さな手帳を見つけた。思わず開いて読んでみたら、母の達筆な字で、日付と短い言葉がぽつりぽつりと書かれてあった。
 「結婚するんじゃなかった」「子どもを産むんじゃなかった」と、母の日記には「後悔」ばかりが漂っていた。(後悔体質も遺伝するのかしら)そういう人生を選んだのは母自身だろうという怒りと、理想の娘になれなくてごめんねという哀しさが湧いた。母にはなにか楽しいことや嬉しいことはなかったのだろうか。初恋の人を思い出したり、私を可愛いと思っていたことはなかったのだろうか。母がふと感じたり考えたりしていたことを、私は何も知らない。母の日常を知りたかった。
 
 そんな思いもあって、私は交換日記の代わりに娘にこれを残そうと考えた。これから私と娘がどんな関係になっていくかは分からないし、突然の別れがくるかもしれないから、私がいま感じていることを感じたままに記録しておこうと思った。母として愛を伝えるためではない。私という人間がこんな風に生きていたんだということを、いつか娘が知りたくなったときのために残してみようかなというだけ。まあそんな大義名分はぶっちゃけ後付けかもしれない。仕事で書く文章が型にはまってつまらなすぎて、小説を書いていると煮詰まりすぎるから、細かいことは考えず自由に書く場所が欲しいだけかもしれない。時間があって、書きたいから書いているだけ。時間もなくて、書きたくなければ書きません。そしてすぐに飽きるかもしれません。
 


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