タイムカプセルの埋め直し

私は、2024年の4月からこのnoteで過去と現在の自己開示をしている。
それは「自分の棚卸」をして、「他の人が言っていないこと」で「自分にしか書けない」ことが、毒親育ちの子育てだと気づいたからだった。
私が受講しているライティング講座の講師が、そのことに気づかせてくれた。

そして、実話ナックルズnoteに私の書いた記事が掲載されることになった。

自分の幼少期の経験を、ありのままの記憶と感情で書いただけの、内省文。
記事を読んでくださったうちの一人が、私を含めた講座生の一部のことを「内面深堀り系」と呼び、原体験を掘ってどこへ行きつくのか、と尋ねた。

私はそのとき、内面を掘って、空いた穴に別のものを埋めている感覚があると答えた。掘ることは解毒、そのように解釈できた。
ただ、何を埋めているのかは、いまいち理解していなかった。


7月から、スタエフ(stand.fm)で音声配信を始めた。
軽い気持ちでただ雑談するつもりが、結局毒親育ちが絡む配信になる。
私の過去はそれほど、親に支配されていたんだなと感じる。

書くことも、話すことも、似ている。
私は、嫌な過去(直近も含む)を掘り起こして、それを他人の前に晒し、反応(いいねやコメント)をもらうことで、その♡や言葉を宝物のように埋めている感じがする。発信することで、新たな気づきが生まれる。それらも合わせて一緒に埋める作業が、子どもの頃の私や、ダメ親になりがちな今の私を救っている。

嘘つきで、親の悪口ばかり言っていて、一見すると他責志向で、拗らせまくっている私を、誰も批判したりしない。
こんな話を読んだり、聞いたりしてくれるだけでとてもありがたい。
自分のために書いているとはいえ、誰の反応もなかったら、ちょっとかなしい。誰も聞いていない独白は、虚しいかもしれない。

40歳になってやっと、苦い思い出の詰まったタイムカプセルを掘り起こしている。うわー、こんなのもあったわ、そうだ、あんなのもあったわ、と言いながら文字にしたりしゃべったりしている。懐かしい、というのではなく、斜め後方に置いたまま、見て見ぬふりをしていたものを直視して、手に取った感じだ。

書いたり話したりすることで、タイムカプセルの置き場が変わる。いつでも見れるし、いつでも抹消できる。私は自分の過去をいかようにも操れる。なんにも怖くない。抱え切れなくて、穴の底へ底へ埋めていた過去を掘り返し、手放したら、解放的なことこの上ない。
鼻歌を歌いながら、空いた穴に新しく手に入れたものを埋めていく。今度は、いつか懐かしむための宝物として。

穴を掘らなくてもいいようになれば、こっちのものだ。
新しく埋めたもので穴が塞がれたら、きっと私は大丈夫。
自分の過去を慰めて、許して、あぁなんだかんだ私は私に生まれてよかったなって、きっとすがすがしい気持ちで死んでいける。


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