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いつおかマガジン 第1回 しみこさん、どうして「いつでもおかえり」を作ったの?

セルフケアコミュニティアプリ「いつでもおかえり」の公式連載「いつおかマガジン」をご覧いただきありがとうございます。

第一回目にあたり「いつでもおかえり」がなぜ誕生したのかについて弊社代表清水へインタビューを行いました。「いつでもおかえり」は清水のどのような経験から誕生したのかなどを深堀りしていきます。楽しんでいただければ幸いです。

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■インタビュアー
ささきち
2022年5月より株式会社祭にジョインしたシングルマザー。離婚を機に自身の生き方について見つめ直し、マイペースに生きることを楽しむ30代後半。

■インタビュイー
清水舞子(しみこ)
株式会社祭 代表取締役
多摩美術大学に入学するも、金銭的な家庭の事情により中退。その後は新宿の繁華街の店長として働く。社会課題を解決するため、ビジネスの世界に進むことを決意。Webサイト制作やアプリ開発のスキルを独学で身につけ、フリーランスとして仕事を請け負うようになる。株式会社祭を創業し、現在はセルフケアコミュニティアプリ「いつでもおかえり」を運営。

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ーー 担当のささきちと申します。簡単に自己紹介をしますと、二児を育てる30代後半のシングルマザーです。離婚を機に自身の生き方について見つめ直し、日々忙しいながらもマイペースに生きることを楽しんでいます。2022年5月より株式会社祭にジョインしました。どうぞよろしくお願いいたします。

ーー 清水さんに改めてインタビューを行うことはちょっと恥ずかしいのですが…。まずは、改めて簡単な経歴を教えてほしいです。

清:株式会社祭 代表取締役の清水舞子です。…と、ささきちさんに改めて言うのも不思議な感じがしますね(笑)。母子家庭で育ち、多摩美術大学に入学しましたが、家庭の金銭的な事情により中退しました。その後、繁華街にあるお店で店長として働いていました。


ーー 何度か聞いていますが、かなり異色の経歴ですよね。そこからなぜ起業しようと思ったのでしょうか?

清:繁華街で働いている最中、そこで生きる人たちの間で起こる問題に数多く直面してきました。突然スタッフと連絡がとれなくなって心配して家を訪れるともぬけの空だったり、レジの売上金を盗んでしまうスタッフもいましたね。また、DV彼氏から離れられなかったり、中絶するのに付き添い人がいなくて困っているだとか、本当にさまざまなことがありました。
一緒に解決策を考えたり、なんとかできないかと話を聞いたり(そこで何故か一緒に泣いたりして)、時にはうちに泊まってもらってごはんを一緒に食べたりと、当時できる最大限のことをしていたのですが、それでもやっぱり大抵の場合は何もできないんです。売上金は盗み続けてしまうし、DV彼氏にまた殴られるような状況に戻ってしまう。一方で、その街で多くの人から慕われた人が、その経歴から一般企業には就職できないという場面もあったり。
どうして相談にのった相手が何回も自分を傷つけてしまう方向に戻ってしまうのかと、時には彼らに怒りを感じることもありましたが、同時に圧倒的な無力さの中で、一人でできることには限界があるとも痛感しました。
そして、考えれば考えるほど、ここで起きた問題のすべての責任が彼らにあるとは思えなかったんです。親の収入、生まれた場所、そして生まれ持った環境や備え持った資質など、そういった要素が複雑に絡み合い、個別の問題として表出しているのではないかと気付きました。そういった「構造的な問題」を解いていくための「仕組み作り」こそが、希望の日光のように思えたんです。それで、起業するぞ!と(笑)。


ーー 一緒に泣いた夜もあるということから「社会的な課題」を解決するためにビジネスをしようと考えるのが清水さんらしいですよね(笑)その後にどのようなアクションをとったのでしょうか?

清:ます、三方よしの仕組みを提供できるビジネスの作り方を学ぶためにある大学の商学部に編入学し、並行してWebサイト制作やアプリ開発のスキルを独学で身につけ、フリーランスとして仕事を請け負うようになりました。その後、2015年に株式会社祭を立ち上げて、様々な事業に挑戦しました。今はセルフケアコミュニティアプリ「いつでもおかえり」を運営しています。


ーー 美大中退からのビジネスという、ある意味真逆ともいえる方向転換ができてしまうところが清水さんの大胆で面白い側面ですよね。もちろん渦中にいる時には面白さを感じる余裕なんて全くなかったとは思いますが人生は自分で打ったいろいろな点が後から「こういうつながり方をするんだ~!」というように線につながって見えることも多いと思います。
私はつい最近祭にジョインしたばかりですが、会社を立ち上げてこれまで本当に大変なことが次から次へと起こったと聞いています。一番辛かったことはなんでしょうか?

清:起業から数年であらゆる壁に何度もぶつかりました。
社会的に意義のある価値提供を実現を、拡大可能性のあるITモデルに落とし込む事は非常に難しいのです。針の穴に針を差し込んでその穴に両目をつぶって糸を通すようなもの。しかし、絶対に妥協したくはなかった。社会的な価値提供と拡大可能性のあるモデルを検証するために数年を要する覚悟は当初からありましたので、仕事そのものは辛いというより「正当な困難」としてポジティブに受け止めていました。

本当に辛かったのは、当時自分のように女性性でIT起業する人はビジネスの世界においては随分とマイノリティだったことです。圧倒的にマイノリティすぎるので、悩みそのものが他の人から「そんな悩みは存在しないでしょ」と抹消されてしまう。私の経歴が異色であることも無意識の偏見を助長してしまったように思います。自分自身、自分を含めた世の中の多くの人がこんなにも「イメージ」や「経歴」に引っ張られてインスタントに人間を判断してしまうことを理解できていませんでした。ビジネスに対する必死の思いを打ち砕くような事がたくさんありました…。数年前にはほぼ水しか飲めず10キロも痩せ、鬱になり病院へ通うようになりました。辛かったです。


ーー それはとても辛かったですね…(涙)そんな渦中を、清水さんはどのように乗り切ってきたのでしょうか?

救いとなったのは友人たちの存在でした。
鬱が一番ひどい時には、起き上がれずお風呂も厳しいという状態で、まともに日常生活も営めませんでした。その際、彼ら彼女らには大変お世話になりましたね。買い物に行ってもらったり、掃除を手伝ってもらったり。ですが、生活の支援以上に救いになったのは、何もできない、相手に価値を出せない状態の自分と「共に居てくれた」ことなのではないかと思います。

その中でも「しみこさん、あんまり僕らに相談したり頼ったり、そういうのしてくれなくて寂しく思うこともありますよ(笑)。これまでずっとそうやって、ひとりで生きてきたからなのかもしれない。でも、僕らは何を言ってくれても引かないし、いつでも何でも聞きますから安心してください」と、言葉をかけてくれたことが印象に残っています。

当時は「いつも助けられてばかりで申し訳ない」という自己認識だったので、とても驚きました。「え、私はいつも相談ばかりでは!?」と(笑)。でも、確かに思い返すと、生まれてからずっと、結論が出たことや相手に価値がありそうなことは言葉にしていたように思います。けれど、相手の都合に関係のない「思いのたけ」や「困りごと」は声に出してこなかった。

この言葉を聞いてはじめて、「相手に価値を提供しなくても、相談したり声に出したり、身を放り投げてもいいんだ」と知ったんです。こうして徐々に、生活もできるようになり、元気を取り戻していきました。


ーー 元気になってよかったです!それにしても、それはとてもありがたい体験でしたね。それが、「いつでもおかえり」を作る契機になったんでしょうか?

はい、本当にそうなんです。私は周囲には恵まれていると思います。もしあの時、自分がひとりきりだったら、今ここにはいないでしょうし、もしかしたら生きてさえいないかもしれないですよね。

でも、それからすぐに「いつでもおかえり」を作りました、という訳ではなく、実はそのあとその友人とは会えなくなってしまうんです。詳細を語ることは避けますが、とにかく当時は「このままもう二度と会えないかもしれない」と思いました。そこに前触れはなく、ある日突然目が覚めたら、そうなっていたことを他の人から聞かされたんです。

私はその時になってはじめて、友人自身の中にも、抱え切れないほどの大きな苦しみや葛藤があったのだと気付きました。馬鹿ですよね、自分の話ばかり聞いてもらっていて、私は何も気付かなかったし何もできなかった。あんなに近くにいたのにも関わらず。当時のことを思うと今でも胸が痛いです。勿論、究極的には「本人の問題は本人のもの」で、他者である私が背負うことではないのはわかっています。けれど、その人はそんな理屈の境界を超えてしまいたくなるほど大切な友人。また自分は、こうして何もできないのかと、本当に悔しかったです。


ーー そうだったんですね…。

これまで、自分を含め生まれや環境、機会の不平等さによって苦しんでいる人がたくさんいるのを目の当たりにしてきました。なので、機会さえ平等になれば、みんな幸せになれるんじゃないかと思っていました。それは間違いではないんですが、それだけでは足りないし、足りたとしても幸せを感じとれるとは限らないんです。
幸せを感じ取るためには自分の心に目を向けたり、自分の気持ちを否定しないで「こういう時もあるよね」とそのままを許容していかないと、永遠に自分で自分の首を締めることになってしまって、私のように鬱になってしまったりするかもしれません。

だから、すべての人―喧嘩した人も仲良くなった人も好きだった人も通りすぎただけの人も、出会っていない人も含めて―が「自分の存在や気持ち」をまず自分で無視しないであげられるような機会を提供したかった。そのために、まず自分の気持ちを吐露したり、そこに肯定的なリアクションが集まるようなサービスを作ろうと思いました。生まれなくてもいい悲しみを生まれる前に成仏させたかった。


ーー そんなすごい背景があって「いつでもおかえり」ができたとは知りませんでした…。では、ユーザーの皆様には「いつでもおかえり」をどのように使ってほしいでしょうか?

「いつでもおかえり」は自分も最も辛かった時期にそれを支えてくれた友人らがしてくれたことを仕組みとして再現しつつ、同時に辛い思いをしていたのにそれに気付けなかった自分の後悔や友人への感謝を込めて作っています。
なので、「自分の気持ちを許容し難いあなた」にこそ、使ってほしいですね。まず、悲しみや喜びだけではなく、時には怒りも含めて「自分ってこんな風に感じていたんだ!」と吐露してみて頂きたいです。
「いつでもおかえり」は人の集まるコミュ二ティなので、現実世界と同じようにさまざまな人がいます。その中で、できる限りで安心安全な場所になれるよう多方面から工夫をこらし現在も改善開発の道半ばです。そんな環境ではありますが、自分の気持ちが自分や、もしかしたら他者に肯定される瞬間をお届けしたいと祭スタッフ一同日々精進しております。
誰かの助けになるには人ひとりの力はあまりにも無力だからこそ、みんなでみんなを少しずつ支えられる機構をみんなの手元に届けたい。それが「いつでもおかえり」が大切にしていることのひとつです。


ーー 最後にユーザーの皆様へ一言いただきたいです!

日々生きていると、腹が立つこともあればひがみっぽくなったりと、とにかく絶好調とは程遠い毎日ですよね。少なくとも私はそうですが(笑)、みなさんはいかがでしょうか。そんな「嫌な気持ちがむくむく湧き上がってきたとき」、無意識のうちに「自分は悪いのでは」と自分を過剰に責めてしまったり、「こんなこと思っちゃだめだ」と、自分の気持ちを認められないこともあると思うんです。私は毎日そんな感じです(笑)。しかし、そんな時こそ自分を責めず、存分に怒ったりひがんだりしてほしいと思います。まずは「そんな自分」もええじゃないかと、自分にやさしくしてみる。
そういう真のご自愛を繰り返していくうちに、もしかしたら他の誰かにもやさしくできるかもしれない。雨垂れが石を穿つように何かが解けていく。そんな「自身の受容の連鎖の起点」の場として「いつでもおかえり」を利用して頂けると、これ以上嬉しいことはありません。


ーー 辛かった過去を「出来事」として語れる清水さんの強さが印象的でした。まずはどんな気持ちでも「いつでもおかえり」に吐き出してみてはいかがでしょうか。安心して語れる場を提供し続けられるよう、祭スタッフ一同、努力してまいります。最後までお読みいただきありがとうございました。

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