
絵と記憶の中の風景
朝起きて見た部屋のカレンダーの写真が、ついにパステル画に見えてしまった。
坂口恭平さんの絵は、見る人を惹きつけて、感情を揺らす。そして多くの人が、同じことを言う。
「絵なのに、写真に見える。」
ところが絵の塗り方をよく見ると、それほど細かいわけではない。指のタッチも残っているし、荒い部分もあるし、実物とは異なる色で表現していたりもする。
なのに、写真に見える。
というのは、視覚情報が瞬時にイメージ化、映像化、されているということなのか。
「行ったことない場所なのに、懐かしく感じる。」
「知らない場所なのに、昔行った場所に見える。」
これまた不思議で、多くの人が同じことを言う。私もこの感覚があった。
その風景は、竹富島であったり、新島であったり、父島であったり、あるいは自分でも思い出せない公園の風景だったり、昔の恋人と帰り道に車を停めた夕方の海だったり、休日に行った湖だったり、本当に時空を飛び越えてくる。忘れていた風景が、心象が、引き戻される。
それで泣いたとき、とても素直な感情が出たことにも驚いた。ああ、わたしあの人とあのまま一緒にいたかったんだなあ。と。認めたというか受け入れたというか。ずっと口にしないようにしていたことをすっと言えたような。
絵に感動して泣いてるんじゃなくて、自分の内にこびりついているものを洗い流す行為というか、作用があって、それで涙が出るんだと思う。身体が自然に働いてくれてる。すごいよね人体って。
こうして、脳内で記憶や感情の場所に瞬時に到達する絵、ということになるのだけど、これは凄いことだと思う。音や香りが記憶との結び付きが強いとよくいうけど、坂口さんの絵は強烈にこの性質を持つ。
光や色彩、それから風がやさしい感じや、環境音、そんなものが絵から感じられる。不思議だなあ。さて日課でもやろう。