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アカンボカワイイ

20歳くらいまで「子供」という生き物が嫌いだった。いや、嫌いというより「どう接していいのかわからない」という方がしっくりくるかもしれない。

無遠慮にこちらを見つめてくるし、いきなり大きな声を出すし、うまくコミュニケーションがとれないし、どうしたらいいのかわからなかったのである。

それに、多感な頃は自分のことが嫌いだったから、本気で「自分の遺伝子を残したくない」と考えていた。親友Tは、私がそのことを断言していた頃、「コイツは何言ってるんだ?」と思っていたらしい。

そんな私が25歳の頃、妹が出産した。奇しくもその頃、私は心身を病んで大阪に帰っていたのでしばらくは仕事もなく、赤ん坊の世話に大きく関わることになった。

この経験が、私を「アカンボカワイイ」人間に変貌させた。子どもの持っている未知数さがおもしろくておもしろくて。

自分の子どもが生まれたときには「この子を守らなきゃ!!」と思うあまり獣めいたり(この現象を『ガルガル期』というらしい)、幸せすぎて不意に涙がでてきたりと、およそ子を産むまでには考えられなかった感情を体験した。

魔の2歳児を抱える今となっては、毎日が戦場だが、他者との日々にここまでエネルギーを費やすのも、人生のなかではまたとない経験だと思っている。そして、周囲の大人にそこまでの影響を及ぼしながらぐんぐんと育ってく「子ども」という生き物は、まさに「希望」だな、などとしみじみ思うのである。

なので、今の私はけっこう本気で「すべての子どもに幸多からんことを」と願っている。それぞれに幸せの尺度は違うだろうが、みんな幸せでいてほしい。きれいごとだとわかっていてもなお、願わずにはいられない。

街中で子どもを赤ん坊を見かけるたび「アカンボカワイイ」「アカンボカワイイ」と呟いてしまうのは、そんな気持ちがあるからなのかもしれない。アカンボカワイイおばさん?上等だ。そんな人種に喜んでなってやる。もう少し子どもが大きくなったら、子どものためのボランティア活動をしたいくらいだ。

「自分の遺伝子を残したくない」なんて言ってた頃の自分が、今の私をみたらびっくりするだろうなー。人生何があるかわからんね。

(ところで最近、ママ友Mちゃんが第2子を出産した。Mちゃんと会うたびに、生後3か月のかわゆい坊に会える。Mちゃんの上の子はウチの子と同い年で、第2の子どもみたいに思っているので、坊のほうもどんどんめでていきたいと思っています。)


(Day.21)

▼昨日の記事。叱られている息子はかわいそうなのか。▼

▼ほぼ毎日エッセイ『私に翼』▼


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糸崎 舞|カルチャーライター
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