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ちゃんと「終わらせる」ことの意義

だいぶ前になってしまうのですが、とあるコミュニティ(事業)の卒業式に出席してきました。
なんだかんだで結構長い間関わらせていただき、コミュニティのクローズは寂しさもありつつ、感謝しかないことも沢山。
関係者が集まると酔っぱらって笑いながら「寂しい!!!!」と叫ぶ会。
数名の正社員(事業統括)+副業社員(PM)+プロボノ(プランナー)が確か7年?くらい運営してきた事業で、私はたぶん3年ちょっとの間プランナーをさせていただいてました。
もともとは、この事業が運営しているイベントの参加者だったんですけれど。いつの間にか中の人になって、プランニングして、イベント運営して、気づいたらなんか担当イベントが大成功していたらしく、相方をしてくれていたPMの方がMVPとして表彰されていたらしいですw
ず―――ッと走ってきたわけではないんですが、一つ一つが割と濃くて。
事業統括のクオリティチェックにビビってたのもよい思い出です。

こういうのって、フェードアウトすることも多いんですが、ちゃんと終わらせて次にすすむ「卒業式」みたいなセレモニーって意外と大事だなと思いました。

実はこの春に、このコミュニティだけじゃなくもう一つクローズしたコミュニティ(そちらはオンラインサロンですが)があって、そちらは体調不良で卒業式には出られなかったんですね。

そうしたら、なんだか一体感が薄れたというか、そんな感じの印象になってしまって、よい思い出もたくさんあったし、前述の事業よりもっともっと深くかかわってきたはずなのに、ちょっとモヤモヤが残留。

なんというか、ちゃんと「ピリオドを打つ」って本当に大事だなと思いました。

だから、自分がやるときは始めるときも終わるときもちゃんとピリオドを打って次へ行く、と、できるだけやりたいと思ってます。

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