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父の日翌日

昨日は82歳一人暮らしの実チチのところへ行った

2週間ぶりで、簡単な昼ごはんを作って食べて、トイレや部屋の掃除をして、来月外装工事が入るというのでベランダのものを片付けたりした。

父の日の翌日なので、ネットで買っておいたサンダルとサッカー地の半袖シャツをプレゼントした。

「父の日のプレゼントなんてもらえると思わなかったなぁ」父は嬉しそうだった。

昨年の今頃は、私ら父娘は縁を切っていた。父が家族で交わした約束を破ったのが理由だった。父が家族の約束を破ることはいままでもあったし、その度に言い訳も聞いてきていたけど、その約束をするのに家族の真ん中にいて、一番労力をはらったのは私だったし、そのことで私自身も夫と言い争ったりしたこともあり、そのひとつの約束を破られたことはかなりショックだった。

いや、でも私はどこかで父は約束を破るだろうと思っていた。父のことをバカみたいに信じたいとは娘として思っていたけど、私のそんな気持ちなんぞお構いなしに約束を破るのが父だった。わがままで傲慢、自己中心的で思いやりにかける。父親だから我慢しているけど、他人だったら間違いなくつきあいたくないし、どこかでぶん殴ってるかもしれないというのが私の父だった。

だから約束を反故にされたことにがっかりもしたし落ち込んだけど、一方で今度反故があったら、もうないなとかねてから腹をくくっていた。だから、約束を破ったことを責めることもせず、一連の努力を無駄にされたことでがっかりして、もう疲れたし付き合いきれない、もう娘ではいられない、さようならと、私らは別れた。とはいえ、母とは縁を切っておらず、その母が助けを求めて来た時に、仕方なく半年後に娘でない縁者として彼とは電話で話したこともあった。ただ私の父娘の縁切りは本当に心の底からの決断だったので、何を言われても親子には二度と戻らないなと思っていた。葬式にも出ないし、面倒もみない。親不孝する分、他の人を幸せにする人生を送ると決めていた。昨年の12月までは。

昨年の12月、母が突然この世を去った。

いままでのことを父が私ら子どもたちにわびて、どうか力を貸して欲しいと言われ、そこからは母の手続きやら片付けやらを父と兄と私の三人で行った。父娘の切れた縁は、母によって再び結ばれたのだった。

結子、母がつけた名前は、なんだかちょっと皮肉に感じることもある。

母がいなくなり、すっかりしょげたじいさんになった父は、その場ですぐに着ているものを脱いでプレゼントのシャツを試着し、いそいそと洗面所に鏡を見に行った。戻ってきて、ほらちょうどいいよ、これはいいねと笑った。サンダルは、私が帰る頃には、もう前からあったかのように玄関においてあった。

母が買っていたコーヒーがそろそろなくなるので、ふたりでスーパーに行き、新しいのを買ってきた。帰る前に母が買っていた最後のコーヒーを淹れてふたりで飲んだ。

「持ってきてくれたお菓子を一緒に食べよう」

私が持っていった甘党の父が好きそうなキャラメル味のクッキーを、コーヒーにはあいそうだからとふたりで食べた。

母が亡くなってからは、彼には一緒にお茶を飲んで甘いものを食べる人がいない。いや、たまに私がいるからいいか。

「本当はね、来るから一緒に食べようとゼリーを買っていたんだ」

父の冷蔵庫にはゼリーがふたつ冷やされていた。


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