人の個性はプライドをみればわかる ~美しく、かっこよく、そして潔くありたい~
一見、どんなに卑屈にみえる人間であっても、一人前のプライドを持っている。
マズローは「欲求5段階説」において、生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求の順に高次な欲求を求めるようになると主張している。この中で、人間の個性が出はじめるのは社会的欲求からではないかと思う。これが承認欲求になると、かなり個性豊かになる。そして、プライドというのはこの承認欲求に当たるものであろう。
つまり、「プライドがどのような場面で発現するかによって、その人の個性がよく分かる」ということである。その人のプライドの持ちようをみることにより、その人がどんな人間か、という点が明らかとなるのだ。
先日、こんなことがあった。前回のnoteにおいて、私が支社採用であることを話したが、今回の話は、この4月に同グループの別会社(以下「A社」という。)に出向した元上司Bさんが、昼休みに当社に顔を出したところから始まる。
Bさんの話を聞くと、A社には昨年採用されたC君という若手社員がいるのだが、そのC君というのが恐ろしく仕事ができる好青年であるらしい。同グループといえど別種の業界に出向したBさんは、業務でわからないところをC君に教えてもらっているそうだ。ところがC君は、実は弊社の選考試験にも参加していたが、落とされてしまったという話をBさんに話したようである。
Bさんは、「なぜあのような良人材を当社の人事課は逃してしまったのか」、ということを疑問に思っているようだった。そこで私は、最近まで人事課にいたこともあり、真相を究明しようと思い人事課に向かった。
当時の資料を見ると、C君は一次面接で落とされていた。面接担当者は、「優秀そうだが、うちには合わないのではないかと思った。」と記憶していた。そんな話をオフィスでしていると、この4月に例の別会社から転籍した事務補助の女性が話に加わった。「C君ですか?できる人で有名でしたよ。身のこなしもよく、明るい人でした!」とべた褒めである。落としてしまった面接担当者の立つ瀬がない。
そこでさらに、当社の若手社員のDさんが加わる。「C君でしたら、採用時の研修で一緒でしたよ。」と。当社では、採用時の研修をまずはグループ企業全体で行うため、採用年次が同じなら、同グループ他社社員とも面識ができるのである。
しかし、Dさんはこう続けた。「でもC君、当社について、説明会には参加したけど、選考には参加しなかったと言っていましたよ。」と。
話が合わない。C君は間違いなく当社の選考に参加している。そして、Bさんには正直に話している。しかし、同期のDさんには、選考には参加しなかったと言った。Dさんには嘘をついたのである。それはなぜか。
おそらく、自分は落ちてしまった会社に入社できている同期に、「自分も受けたけど落とされちゃったよ。」といえなかったのであろう。とても人間らしいプライドであるといえる。しかし、そんなに言いづらいことだろうか。
私だったらどうだろうか。同じシチュエーションで、どのような条件だったら、このような嘘を付くだろうか。まず、相手が自分よりはるかに立派だな、と思える相手だったらどうか。間違いなく、「自分も受けたけど落とされちゃったよ。あなたはすごいですね!」といえる。自分と同じぐらいのレベルの相手だったらどうか。う~ん、ちょっと悔しいだろうけど、ギリギリ正直に言えるだろうか。
では、私だったら、どのようなときに嘘を付くか。それは、「明らかに自分よりも劣っていると思える相手が、自分が一次面接で落とされてしまった会社に選ばれたと知ったとき」である。これは辛い状況だ。おそらくC君は、「こいつより下かよ」と、心の中で負けを認められないため、とっさに嘘をついたのだ。(このときのC君の心情は、ある意味非常に文学的である。)
この推測についてはその場で気がついたものの、口にはしなかった。Dさんの前ではさすがに話せない。しかしその後、人事課において、「平然と同僚であるDさんのことを見下しているC君は、どんなに優秀でも、採用すると面倒なことになっていたのではないか。」という持論を話した。課長も、「ちょっとイケ好かん奴だな。」とコメントし、面接担当者も一安心であった。
このように、プライドがどのような場面で発現するかが、その人の個性をよく表すのである。散々自分のことを棚に上げて話しているが、私もどちらかといえばC君的な人間である。自分を客観的に見せられたようで胸が痛い。どうせプライドを高く持つなら、美しく、かっこよく、そして潔くありたい。強くそう思わされた。
(以上)