ゴヤの名画と優しい泥棒
ゴヤの名画と優しい泥棒(イギリス:2020年)
監督:ロジャー・ミッシェル
出演:ジム・ブロードベント
:ヘレン・ミレン
:フィオン・ホワイトヘッド
:ジャック・バンデイラ
:マシュー・グード
事実を元にした物語。高齢者、社会的弱者たちが暮らしやすいように、公共放送のTV受信料の無料化を訴える老齢の父が、美術館から名画を窃盗したことになってしまったことから、政府を相手取り身代金を受信料に充てるように画策。夫婦の縁と家族の絆、そして老齢の父のキャラクター性がクローズアップされるヒューマンコメディドラマ。
戯曲を作りが趣味の老齢の父は公共放送のTV受信料支払いを拒否していた。公共放送だけを視聴できないようにTVに細工するほどだったが、結局逮捕される。短い収監期間を終え、彼は公共放送の受信料を高齢者や社会的弱者から徴収に反対する運動を展開。同時期に政府は、名匠が歴史的英雄を描いた絵画に高額を支払い、国外流出を阻止。父は税金の無駄遣いと怒り、さらに受信料の無料化を訴える。首都の国会へも乗り込み訴えるがつまみ出されてしまう。しかし、彼が自宅に帰った翌日美術館から例の絵画が盗難になったとニュースが流れる。その絵画は父の書斎にあった。責任と憶測で混乱する捜査本部。父はその絵画で身代金を要求し、その金を社会的弱者のために公共放送の全世帯の受信料に充てようと画策する。
階層社会の厳しさを感じた作品。ヨーロッパでは多いらしいが、特にイギリスは上流階級と労働者階級の格差が激しいと聞いている。観ていて高齢者や社会的弱者、他人種の生きにくさを感じてしまった。その上、映像内のイギリスの古式ゆかしい街並みがざらっとした質感で重く感じ、トラディショナルな衣装に明るさはなく、みんな活力が失われているように見えた。自己責任とはいえ職を失う父に、親切な上流階級夫人の家政婦として仕える心配性の母、いけ好かない人妻と付き合っている不良の長男、自転車事故で若くして亡くなった娘等々、普遍的な家族のちょっとつらい現実が積み重なって悲しく感じた。特に辛いのが父の運動に理解のある次男。船大工をしているようで、いつか高級な船に乗り、彼女と一緒になりたいと夢願うが、貧困を囲ってできないでいる様子。昔、スティングのアルバムのライナーで船大工だったスティングの父の生涯を読んだことがあるが、労働者の報われなさをひしひしと感じられて、曲の悲しさが引き立ったことを連想する。曲のタイトルはSoul Cage(魂の檻)。
しかし、このお父っつぁんはキャラクターが前向きで、苦境にも独特な言い回しで突き進んでいく。それが悲壮感を感じさせない。不平不満を抱えつつも決して声を荒げず、信念を陽気な言葉で表現し、どこか間抜けだが家族を愛する姿に好感が持てる。彼の主張は社会的弱者の救済であり、それが人種も問わずみな平等だという姿勢が貫かれていた。中盤は一喜一憂、右往左往する姿に観ていてダレてくるが、終盤の法廷シーンはその独特なキャラクターと言い回し、ジョーク、ウィットがさく裂。爆笑を誘ってくれる。そのキャラクターだから、応援してくれるものが増えるのも納得。彼自身報われはしないが。
その妻役、ヘレン・ミレンの演技も素晴らしい。我が道を行く夫と不良の長男、孝行息子の次男の案じつつも、不安からついキツいもの言いとなり、軋轢を生じさせるが、母の心配を感じさせた。その背景には若くして亡くなった娘への悔恨がある。また母が勤めていた上流階級の夫人が優しいのが心を温かくする。
60年代のイギリスと言えば、ゆりかごから墓場までの社会保障制度が確立され、徐々に経済成長の停滞、失業者の増加、産業の不調と非常に苦しい時代の始まりでもある。その冬の時代を反映するかのように物語に出てくる公的機関の硬直化も感じさせる。絵画盗難の推理ではまったく違う犯人像を描き出したり、その後の顛末に司法取引を持ち掛けて隠蔽したりと、メンツにこだわって迷走する皮肉も感じさせられた。
実話をもとにしたと前述したが、この裁判の判決もなかなか粋で、いかにもイギリスといった内容。それでええんかって問い質したくなるが、法と情を天秤にかけたらちょうどいいバランスになる判決だったのではないかと思っている。なお、この映画の製作総指揮の一人、クリストファー・バントンは老齢父の孫だという。身内にこんな爺ちゃんいたら滑らない鉄板話になるかもしれないが、実際はどうだろうか。考え込んでしまう。