DAY233 使命を知り、魂の導きに従い、命を全うする。

今日はデザインのお教室最終日。
という日に限って、まさかの録画忘れ!気づいたのが全て終わる頃という、ほんとにまったく気づかないままの2時間だった。

アーカイブ組が多いので、そこから1時間ほど、ひとりで撮り直しをした。そんなわけで3時間喋り倒したら、今日はちょっと喉が痛い。

さて、そんなこともありつつ。昨日見たブログからの、今日はわたしが『これこそが真実であろう』と共感したYouTubeに辿り着いた。

この、南さんの話をざっくり言えば、ツインレイは自分と〈源〉との結婚である、ということ。結婚というか『結魂』である。

ツインレイとして現れる異性は、その結魂への導き手なのではないか、という仮説を立てていただけに、答え合わせと更なる導きを得られそうで、今ちょっとワクワクしている。

九頭龍神社の絵馬。

先日、九頭龍神社に行ったとき、絵馬を奉納させていただいた。その内容は『使命を知り、魂の導きに従い、自分の命を全うする』ということ。
だからこのYouTubeに辿り着いたのもある意味で魂の導きだろうと思った。そして昨日辿り着いたのは違和感が半端なかったから、心がきちんと反応できることを試されていたのかも知れない。審美眼と直感は大事。

いや、あのブログも必要としている人がいてお役に立っているのだ。ただわたしの望む方向性とは違うということ。

さて。この記事で書いていたように、自分の身支度(魂の道へと進む)を整えるための鏡の存在が、地上でのツインレイなのだろう。身支度を終えても、鏡は消えてなくならないように、かといって必ずしもその鏡でなくてはならないということでもないように、全て自由なはずだ。

どこまで行っても、見るべき存在は自分で、でも自分で自分は見えないから鏡の存在として(地上での)ツインレイが必要だ。いや、なんならカルマメイトでも問題ないし、鏡はひとつでなくていい。もっと言えば、目の前に現れる全ての存在が、自分を現す鏡だ。そんな意味では、昨日のブログを書いている人でさえ鏡なのだ!

ツインレイという存在は、その中でもとりわけ〈愛〉についての学びをおこなう存在。わたしと彼は、長いこと地上での〈恋愛体験〉をやり切って、やっと宇宙の〈本質的な愛〉について学ぶフェーズに入ったのだろう。

恋愛体験は、ほんっとにただエゴを投げつけるだけ投げつけ、感情というジェットコースターで一喜一憂した。愛されてないことを確かめたくて戦争ばかり起こした。

愛されてない!という爆弾投下を辞めて、愛は自分の中にはじめからあるということに気づくこと。生きてること、呼吸してること、全てが愛であり祈りであるということ。意識というのは宇宙そのもの。自分が宇宙の一部であり全てである、そのことを忘れてはならない。

なんか少しずつ、自分の中にある核心に近づいている気がする。そのことが嬉しい。

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