DAY360 お金が降ってくるといいですね。

先日、坂爪さんにお会いしたときのこと。
起業塾に入ったりとかしてるけれど、稼ぐのが得意じゃなくて、みたいなことを話した。
そのとき言われた言葉が、今日のタイトルである。

稼ぐとか稼げないとか、そもそも〈稼ぐ〉という領域にいない人を前に、つまらんことを言ったもんだな、と思った。
この人は現在、稼ぐということからいちばん遠い世界に存在している。旅をしているようでいて、自発的な移動は殆どしていないし、なにか〈価値あるものの提供〉で対価を得るという活動はしていない。

でも坂爪さんは、それでも今日だって生きている。一ミリも稼いでいないけれど、生きられているのだ。それってめっちゃ凄いことだと、わたしは思う。

わたしの中にある世界観は、自力でお金をつくって生きていくことがベースにあって、坂爪さんはそれを潔く手放している。稼いだりお金を生み出すという意識を手放せたら、きっとわたしにも〈降ってくる〉感覚が分かるのかもしれない。
いやでも実際、それを手放すのがいちばん怖いんだと思う!要するに、自力を手放すということだから。

あしたしんでも大丈夫、という軽くて力強い決意が必要だ。何処で野垂れ死んでも大往生という心意気。もし神様が、明日も生きなさいと言うのなら、そのときはお金やそれに替わるナニカがきっと降ってくるのだろう。

何ができるかでも、何をしたいかでもない。山伏の星野先達よろしく、うけたもうの精神でしかない。すなわち、坂爪さんは山伏かもしれない説。

そこまで、運命を、明日の命を、天に宇宙に委ねられる生き方をしているなんて。最高すぎて痺れる。同じように生きることは今すぐには難しいかもしれないけれど、いつかあの人のように、何もかも手放しで生きてみたいって願いを叶えてやりたいな、と思う。

そういえば2年前、青春18きっぷで旅をしたときは、あやうく野垂れ死にそうになったけれど、あのとき降ってきたのはお金ではなくて強制送還だった。知り合いもいない土地で、助けを求めることもできず、コロナ禍真っ最中で他人にも頼れず、孤独と苦痛を味わった。
開くことをせず孤独な旅をすると、何も降ってこないのだと痛感する。

ああ、今まだいろんなものにしがみついていて、手放しきれないまんまで、閉じた自分が内側に存在しているな、と感じる。
これがなければ生きていけないと思うもの全てを、自分の手元からサヨナラしていく人生にしたい。
それでも命ある限り生きられるのなら、生かされる限り生き続けたい。

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