散文乱文ブブブブン
は〜。仕事ができない。今日も愛嬌で乗り切った。お疲れ私。
最近のマイブームはNetflixの「ヘッドスペースの瞑想ガイド」「ブリジャードン家」です。
これらのおかげで、なんとか平日を、乗り切っている。
恋人からは、最近あまり連絡がない。
気がつかないようにしていたけど、年が明けたくらいからだろうか。
明らかに、心の距離が少しずつ空いてきたような気がしてる。
私が何かしたというよりかは、今の彼が本性を見せつつある彼、なのかな。
わからないけど。
私はそういう「素」が見たくなくて、
男の子といるときはいつもお酒が欲しいのかもしれない。
私は飲まなくていい。でも相手には常に飲んでいて欲しい。
でも、私も昔に比べたら随分と、クールになったな。
仕事で嫌なことがあっても、彼氏とうまくいかなくても、
化粧ノリが悪すぎて悲しい気持ちになっても、
家でゆっくりご飯を作って食べたり、お風呂に浸かったり、好きな映画や本を観たら、それなりにご機嫌になる。自己治癒力が、それなりにある。
この「一人でなんとかなっちゃう感」に、ふと安心することもあれば、なんだか寂しくなることもあり。だって多分、昔はもっと一人でいられない女で、もっとどーしようもなくて、でもそのどーしよもなさを好いてくれるモノ好きとかもいてさ。その相手がまともかまともじゃないかとか、今はそういうことはなんでもいいんだけど。
「誰かと会いたい」という気持ちが、いつの間にか無くなった。
「あの人に会いたい」になった。
それは友達の場合も、恋人の場合も、家族の場合もある。
会いたい人に会えないときは、一人でいる。一人でいられるようになった。
一人も楽しい。一人だと気楽。一人だと素直になれる。
一人でいないと自分がわからなくなるときがある。
一人でいられるようになってよかった。
きっと少しは、強くなった。まともな人間に、少しはなってきた。
でも一方で、自分がどんどん普通になっていっちゃう気もしてる。
最近の私は、ただ毎日が平和で健康で幸せで楽しいことだけ願っていて、
あとのことは本当にどーでもいい。
見栄とか「こうなりたい」とか本当になくて、
それよりか「これは本当に美味しい」とか「これは本当に面白い」とかなんでもいいから、自分が心から感動できる何かを見つけたいし、それがどんなちっぽけな瞬間でも、楽しい。嬉しい。最近だと、例えば作り置きのご飯を作れた週末とか、メルカリで初めてモノが売れた瞬間とか、少しだけウクレレが弾けるようになったとか、自分でステッカーを作ってみたこととか、なんかそういう。そういう体験。
まあつまり、今の私は、結構幸せなんだと思う。
ちょっと昔の、ちょっと悪い人やちょっとずるい人やちょっと自分のことしか考えていない人や、そういう何かしらのワケがある男の人やお金は増えるけど代償もあるということや時間の過ごし方でやり過ごしていたいつかの自分とはいよいよさよならして、ギリギリではあるけど一応自立できた毎日を、きっと過ごすことができている。やっと。
それは、そういう当たり前のことが全然できなかった自分にとっては本当にすごいことで、尊いこと。だけど、なんか足りない、なんかつまんない、なんだかなー。と思うのは、きっとその頃覚えた刺激とかドキドキがまだ残っているからなんだろうな。
つまるところ。私はもっと愛したいから、愛されたいわけです。私は、あらゆるものや人に愛を注ぐことが唯一の趣味なんだと思う。だけど、人はきっと誰かからの愛的なものを受け取るためのお皿を持ってて、そのキャパシティにはとても個人差があって。それが溢れてしまうと、その関係性は壊れてしまう。そういうものだと思う。
それでいうと、私のお皿は無限大だよ。愛に貪欲だから、ひったすらに愛されたい。もちろん好きな人たちに限るけれど。お皿がまだまだカラカラだから、私は寂しいわけです。でも彼はきっとそうではなく、求めておらず、そうなったら私は様子をみて、それなりの愛しか注げず、フラストレーションが貯まるわけです。愛されたいのではなく、愛したい。だからこそ愛して欲しいなーと思うわけです。依存でも、歪なやつでも、本当は大歓迎。わかりやすいかたちで見せて欲しい。どうせ目には見えないし、明日になれば半分は忘れちゃうわけだから。
はー。仕事したくない。旅に出たい。誰かと住みたい(大きい家に)。