イトシマメグル #1
自分が住むところは、便利なところなら、それだけでいいと思ってた。
糸島に家を借りたのも、天神に電車一本、40分ほどで通勤できるのが決め手だった。たまに関東の実家に帰る時も、空港直結で便利だし。
だから、今回は街中じゃなくて、思い切って自然の近くを選んでみたんだ 。
今のところは大正解。車を買って、海に山にとドライブ三昧、どこを走ってもリフレッシュできてしまう。
今日の出会い。人生初古墳。意外にも身近に。案内板には「井原(いわら)一号墳」とある。 調べてみると、いわゆる映えスポットでもあるみたい。不思議なもんだ。
古墳時代前期ってあるけど、何年くらい前だろうか? よくわからない。
でも昔からずっと、ここに在ったことは間違いない。
糸島、何かちょっと奥深いところかもしれないって気がしてきた。
近くに博物館があったので、行ってみる。伊都国歴史博物館というらしい。
どうも、古代の糸島は栄えていて、日本の玄関口だったようだ。
「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」という日本について記載した中国の書物に、書かれている「伊都(いと)国(こく)」の文字がその証拠だそうだ。
伊都は、糸島の「イト」。そして魏は、三国志の曹操が基礎を作った国だな。その書物には、あの卑弥呼のことも 出てくるらしい 。
実は、結構、糸島って凄いところだったということが分かってきた。昔は、、、だけどね。
各地の遺跡から掘り出された展示物が、静かに待っていた。
ふだんは感じないが、なんとも厳かな気持ちになる。
これは昔の鏡。一番大きいのは直径 50cm 近くもあって、日本一だそうだ。
銅で作られていて、デザイン性の高さにもびっくりした。
ピカピカに磨かれていたという鏡が映したのは、いったいどんな顔だったんだろう。
鏡とともに棺に入れられていたのは、ガラスやメノウで作られたアクセサリー。今見ても普通に綺麗。
これはピアスらしい!
そのためこの墓に埋葬された王は、女性だったとされているそうだ。
昔々この地を治め、たくさんの宝物といっしょに長い眠りについたのは、どんな女王だったのか?伊都国とはどんなクニで、どんな人たちが暮らしていたのか?
この王墓を実際に見てみたいと思って、平原(ひらばる)遺跡に向かった。こちらも博物館 の近く。
広い原っぱに、小さな盛り土が一つ。国指定の史跡とは書いてあるけど、本当にここか?凡人の僕には、魏志倭人伝のころまでは、なかなか想像がつかない。 説明板を読んでみる。
毎年 10 月 20 日、このクニではちょうど日向峠から朝日が昇り、王の墓を照らし続けてきたそうだ。今でも、同じ日に同じ方向から日が昇る。
米作りには、太陽の動きを知ることが大切。やっぱりここは、女王がいた伊都国なんだ。
時とともに、遺跡には土が積もって、見えなくなってしまう。でも、僕たちはその上でまた生きていく。そんな愉しみが、糸島にはあるのかもしれない。
夕方の散歩道、ふと目を閉じてみると、気持ちのいい風が頬に当たった。
空に輝く太陽、周りの山の形、そこから吹き降ろす風。
今ここにある全ての自然は、昔もそのまま同じようにあったんだなと思う。
群れ飛ぶトンボまで、そっくりそのままだったような気がした。
------------------------------------------------------------------------------------
初めてのnoteをまとめ終わって、きょう撮った写真をもう一度見直していたら、こんなのがワンカット入ってた。
博物館であれこれ写した中の一枚なんだけど、国宝の銅鏡や女王のアクセサリーの見事さにぼーっとしていて、あとは流し見だったから印象が薄い。
素朴な木彫りの犬らしいが、どこかの遺跡に埋まってたんだろうか? どんな意味があるんだろう?
ちゃんと目を向けなかった僕に、古代の世界からトコトコついてきたワンコ。いつかこいつのことも、ちゃんと調べてみよう。
#2へメグル
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
第二話 令和ゆかりの万葉集に想いを馳せる海辺の夕べ
近日公開予定
音声で楽しめる新しいコンテンツ♪
noteイトシマメグルに、音楽と解説さらに写真を加えた
ウェブラジオイトシマメグルはこちらからお楽しみください♪
DJ 栗田善太郎
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?