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待つための赤い家

アドベントカレンダー。
その存在そのものを私はよく知らなかった。
ホストマザーから手渡された、十一月さいごのその日まで。

「明日から使って。今夜はまだだめよ」

マザーがどこかいたずらっぽく言いつけるのをよそに、私はそれを両手で持って、ひたすらしげしげと眺めていた。

家のかたちをしたボール紙に二十四の窓。
赤い色にところどころ白が散っていて、雪みたいだ。

真ん中に折り目があるらしきものが見あたった。
裏返してみたら、二十四の数のでっぱりと、下の方にフォトフレームのような足が二つ。立てかけられるようだ。

また正面に戻った。さっきよりもっと目をこらして見る。
屋根は緑でレンガ風の線が入っている。
その上も白い。一直線にではなく、白が窓のほうまで落ちかけていたり、屋根がふいにむきだしになっているところもあった。いちばん下、赤い家の根っこにそのぶんの雪がつもっている。
屋根にはちいさなえんとつもあった。

「あら、もしかして、日本にはないかしら?アドベントカレンダー」

アドベント。
そのことばにはおぼえがある気がした。
そうだ。『はてしない物語』で、そんな文章がなかっただろうか。アドベント、ではなかったかもしれないけど、たぶん、近い。

でもそれはルビで、日本の文章では何だったろう。

待降節。確かそんなような。
この時期に、何を待つ?

私は考えかんがえ、思い浮かんだことをそのまま口にしてみた。

「クリスマスにサンタさんが来るまで、毎日、これを開けて待つ……の?」

ホストマザーは辛抱づよく最後まで耳を傾けてから、惜しいわ、と言い、唐突に胸をそらして人差し指を立て、おどろおどろしい声で訂正した。

「クリスマスはサンタさんの祝日ではありません。イエスさまのお誕生日ですよ」

って言われちゃうのよ、ここが教会だったら。

いつもの声音に戻ったマザーが、なつかしげに笑った。

「子どものころは教会に通ってたし、私の子どもたちが幼かったころもまだ家族で日曜日の礼拝に行く習慣があったから」

私は、それから数年後に実際にカトリック教会でまったく同じセリフで咎められることなど想像だにせず、ただただ目の前のふしぎなカレンダーのとりこになっていた。

「日本では見たことないなあ。何か聞いたことはあった気がするけど」
「そもそも日本ではクリスマスはどう過ごすの?」
「うーん。うちはちょっと宗教関連が特殊なのであまり詳しくなくて……ケーキやケンタッキーのチキンを食べたりかな。あと友達とパーティーとか」
「カラオケパーティー?」

ちょうど日本のKARAOKEがイギリスでも人気を博しだしていたころだった。イギリス人が発音すると、キャ・ラ・オーケと聞こえる。
私は笑って、だいたいそんな感じ、と答えてから、

「で、これどう使うの?」

と、アドベントカレンダーのレッスンをマザーにおねだりした。


ベッドルームに飾る。
一日にひとつずつ、寝る前に開けていく。
中は見てのお楽しみ。


「アドベントカレンダーの時期だけは、歯磨きの後のお菓子を許可します」

マザーがそう尊大に申し渡すので、お菓子が入ってるの、とびっくりして尋ねたら、マザーは、それもお楽しみ、と意地悪になってもう答えてはくれなかった。

「ちゃんと毎日、あなたが学校に行ってからチェックしますからね。欲張って数日先まで開けてないか」
「そんなことしないよ」
「うちの息子もそうやって約束したのに一日でぜんぶ食べたことがあるから子どもの言うことは信用してないの。特にクリスマスシーズンはね」
「子どもでもないです」
「あら、そうかしら。クリスマスプレゼント、枕もとに置こうと思ってたけど、ならやめておくわね」

どこまで本気でどこから冗談かわからない。

でも、マザーが私を子ども扱いをするジョークは日常茶飯事だった。

たとえば夕食の支度が整うと、「ディンディン!」と呼ばれていた。
あとで知ったことには、dinner の幼児語 din-din で、日本語だったら「まんま」とか、そんな感じらしい。どうりでいつもホストファザーがやれやれとぼやいていたわけだ。

かと思えばファザーが私を little girl と呼ぶとマザーはいきりたって、失礼でしょう、彼女は young lady よ、とぴしりと叱っていたり、私はそのときどきでおとなになったり子どもになったり、あわただしかった。

けれど、アドベントカレンダーをもらったあの日、私は確かに子どもだったと思う。
もうすぐ十八歳になる、十七歳。
サンタさんを信じる機会も持たずに育ったものの、少なくともクリスマスにまつわる過去がすべて誕生した瞬間まで巻きもどって、はじめて十二月を迎える子どもになったような、そんな甘ったれた喜びにたちまち満たされた。

その日、仕事から帰宅したファザーに、マザーからアドベントカレンダーをもらった、と実物を手に自慢したら、ファザーは私とマザーを交互に見やってからにやりとして、

「それは良かったね。明日から楽しみだね、little girl」

これみよがしに加えた呼び方に、マザーはそのときだけけちをつけなかった。





翌日の夜、自室に飾ったアドベントカレンダーを、どきどきしながら開けた。

一日目はチョコだった。
テディベアのかたちをしていた。
食べてしまうのはもったいなかったけれど、さんざん迷った末にえいと口に放りこんだ。
ほのかな甘い味にうっとりしながらベッドに入り、明日は何だろう、と、もうわくわくして仕方なかったのに、いつの間にか眠ってしまっていた。

二日目はグミ。
ざっくりした砂糖がたっぷりかかっていて、いかにもといったカラフルなそれは、クリスマスシーズンでもなかったらマザーが断固として許可しないような、幼い無邪気さそのものだった。
昨日よりはためらう時間も短く、でもやっぱり覚悟を決めるまではじいっと見つめて、ようやく口に入れた。もにゅっとした食感が楽しかった。
明日はどんなだろう。あれこれ想像しようとしたはずが、気づいたら朝になっていた。

三日目。トナカイの姿をしたチョコだった。
まだまだ食べるまでにちょっとの勇気が要ったけれども、口に運んだらそれがチョコレートでコーティングされたビスケットだとわかった。思いがけずさくさくとするのが何だか嬉しくてベッドに入ってもそわそわしていた。

明日は、と想像を馳せようとして、気づいた。

世界じゅうの子どもが、サンタさんに会いたいからと、クリスマスイヴの夜は寝ないようにがんばるという。

まさに今の私。
しかもまだ当日でもないのに。

でも、クリスマスにはじめてふれるとなると、何もかもがまっさらで、クリスマスの準備やら何やら大変なこともあるのに、ランプを消してもこんなにあたたかい気持ちになれる。

私は単純にしあわせな気持ちでいっぱいのまま、その夜も知らず深い眠りについていた。





「昨日はアイシングビスケットだったよ」
「昨夜はオレンジのジャムが入ったチョコだった」

毎朝、マザーとファザーにアドベントカレンダーの報告をした。
ふたりともにこにこと聞いてくれて、「おいしかった?」「それはラッキーシンボルよ」といちいち取りあってくれた。

クリスマスが迫るにつれ、アドベントカレンダーの残りもだいぶ少なくなったころ、さみしいな、と、思った。
まだ開けられていない部屋。
数えてみるのすらなんだか怖かった。

クリスマスも楽しみだけど、そのあと、こういうことはできなくなる。

ほんものの子どもだったらクリスマスにすべての意識が向いてしまってアドベントカレンダーのことはすっかり忘れてしまうのだろうか。

やっぱり私は子どもじゃないんだな。
そう気づかざるを得なくなったけれども、クリスマスまでの短い時間、特別に私を子どもにしてくれたホストマザーとファザーの早めのサンタっぷりは素晴らしかったなと、いまになってもなお思う。

それに、私が無知ゆえになんにでもわかりやすく喜ぶことで、マザーはもちろん、子どものいないファザーにはもしかしたら特別な感慨があったのではないか。
マザーだって、私のためにアドベントカレンダーを買うとき、ちょっと若返ったような、なつかしい気持ちになったりはしなかっただろうか。
そう書くと私の身勝手なうぬぼれに過ぎないようで、でも、あながち間違っていない気もする。





二十四日。
さいごのアドベントカレンダーの中身はおぼえていない。
もうほとんどクリスマスなのだし何か特別なものでも入ってそう、と思ったら、普段とかわりのない素朴なお菓子だった。それは忘れていない。





翌日、二十五日はとにかく忙しく、二十六日はイギリス特有のボクシングデー。
毎年、ホストマザーとファザーは友人夫妻と賭けカード大会をこっそり楽しむ習慣があるとか。
その年は私もご一緒させて頂いたが、容赦なく良いカモにされてしまった。

リビングにちょっとだけ施されていたクリスマスの飾りや、テレビの上に乗るぐらいのサイズのツリーや、だんろの上のカードは、一月五日ぐらいにすべて片づけられていた。

気づいた時には私がもらったアドベントカレンダーもなくなっていた。
たぶんホストマザーが一緒に整理してしまったのだと思う。

できれば日本に持って帰りたかったけれど、きっとその感覚はホストマザーにもなかなか伝わらなかっただろう。
終わったものはもう役目を終えた。また来年、用意すれば良い。
そんなようなことを言いそうな人だった。

来年のクリスマス。
私はここにいないんだろうな。
アドベントカレンダーはもらえないだろうな。

そのあたりから、留学期間の残りの日数を逆算して、帰国まで何日あるかを、日記につけるようになった。





最近になって日本でもアドベントカレンダーはさほど珍しいものではなくなった。
二十五年前の当時でさえ、ちょっと裕福だったり教養のある家庭の日本人なら子どものころからとっくに慣れ親しんでいたらしい。

イギリスのアドベントカレンダーはつまらない。お菓子しか入っていない。日本でならオーナメントをそろえられるのに。

そう不満を洩らす日本人留学生もいたけれども、私はあの口うるさいホストマザーが、アドベントの間だけ許してくれる類のお菓子もつまった、赤いカレンダーが好きだった。

寝る前、まだテレビを観ているファザーに、おやすみなさい、と言うと、おやすみ、良いアドベントカレンダーを、と無意識にわくわくのスイッチを押してくれるファザーとのなにげないやりとりも、とても好きだった。





家のかたちのアドベントカレンダー。
思い出のなかにしかない、クリスマスの家。

もうそこに帰る方法がないのはわかっているから、以来、買ったことはない。

一度、住んだから、もう良い。そう思っている。

ぬくぬくと守られてぐっすり眠れる、この上なくここちよい、夢のように無垢な、でも現実から決して離れてはいない、屋根に雪がつもった冬の家。
それが私の唯一のアドベントカレンダーだ。





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