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空海からのメッセージ

空海からのメッセージがふと浮かぶ今日。

ちょうど一年前の10月、2歳の息子を連れて2週間程度旅に出た。
小さな息子を連れてはじめての長期ふたり旅。「今行こう」という気持ちひとつで高知、徳島、淡路島を回る。
1日1日が濃厚で書き始めたらいろんなことであふれる時間だったけど、その中でも印象的だったのが高知の室戸岬だ。

高知市内の移住体験住宅を1週間借り、キッチンからお風呂まで揃っている家を離れることに少し寂しさをかんじながら向かう先は。。まだ「未定」という旅途中。
予約できたと思った宿が取れていなかったり、車のバッテリーが上がってしまったり、もうくたくたになってしまいその日は車中泊をすることにした。

子ども連れでははじめての車中泊。ネットで安全そうなスポットを探して海脇の道の駅に泊まる。
21時前には10台くらい車中泊の車が待機しており、安心そうな車の間で寝ることにした。荷物でグチャグチャになった車内にスペースをつくり、布団を敷いて足を曲げて寝る。
が、なかなか寝付けない。
どうしたもんかなあと思いながら、息子とふたりで横になるも、息子ももわたしもまったく寝れない。
そうこうしているうちに、暴走族が集まりはじめた。
どうしよう。
どうしよう。
ブンブンとバイクの音が鳴り響く中、子どもも泣き始めるし、わたしも泣きそうになる。
何やってんだろうと。
ふと窓から隣の車を覗くと、左側の車はもう移動しており、あたりの車も減ってきているようだった。
暴走族のあつまりも、バイクだけでなく、カラフルなライトをつけた車までやってきてしまい、もう目は完全に覚めてしまう。
時はまだ深夜の2時。息子はなんとか寝ている。

ふと、このまま室戸岬に行ってみよう。
そう思った。
弘法大師空海が悟りをひらいたと言われる場所があったような気がする。
明けの明星が口に飛び込んできたと言われる洞窟があったはずだ。
暴走族が少なくなってきたのを見計らって、その洞窟「御蔵洞」に向かって走り始めた。
高知市市内から2時間程度で室戸に着くのなら、明けの明星もみれるはずだ。


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初めての室戸岬は険しくうつくしかった。
そして、これから日が登る時。
夜明け前の暗さは際からから明るくなる。
海越しに静かにみつめる。
波が強く押し寄せしぶきがあがる。

息子を抱っこして、日の出をみていると、周りに白装束の団体が集まってきた。
ここは本気の場所だった。
静かにみんな拝み、なにかを感じていた。
私服なのはわたしくらいだった。

つい2時間前まで暴走族のことで泣きそうになっていた自分がなにか導かれるように室戸岬にいる。
夜明け前はやっぱりくらいのだ。

そこからは打って変わったように穏やかな時間が流れ始めた。
やさしい喫茶店でごはんを食べて、神社を歩き、イルカをみる。
こてんと息子が寝始めたから徳島に向かうことにした、その前に。
一番いきたい場所、「御厨人窟」にむかう。

御蔵洞は海沿いの崖にふたつ口が開くように洞窟がある。

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向かって右側「神明窟」修行の場であり、明けの明星が口に飛び込んできたと言われる場所。

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向かって左側が「御厨人窟」修行中の空海の住まいとなっていた洞窟。
2019年から再度公開がはじまったらしく中まで見れるようになっていた。

洞窟の中から車の様子もみることができる。
ひとりで、そのくらいた口のなかに向かう。
一歩一歩。
それはなにか「こわさ」のようなものがあった。
言葉にすると、こわい。
そういう感覚だった。
何メートルか歩いた所には空間が広がっている。
私はしばらくその空間のなかにすっぽりと包まれていた。
誰かの胎内にいるような時間。香の匂いに満ち、蝋燭のあかりで灯る。
暑くもなく、寒くもない。
しばらくその場所で目を瞑っていた。
何か言葉が浮かんでムズムズする。

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洞窟からみる風景は空と海だった。
空海。
明けの明星が飛び込んできたという洞窟でもしばらく瞑想して車に戻る。

そして慌ててメモ帳を開いた。
浮かんだ言葉をかかなければ。

そなたはそなた。そなたしかなれゆえぬなら、そなたになれ。

いにしえと香。

全て出せ。

その言葉だった。
これは私が書いているのか、何かに書かせてもらっているのか正直わからなかった。
私が書いたようにも思うけど、私だけのものではなく突き動かされた。
その何かをキャッチしたようにも思った。

今ここにいる不思議。
私のいのちがいる不思議。
命がいのちをつないできた不思議。

そんなことを全身で感じながら、高知から徳島に向かう道はただひたすらに青かった。
3年前に亡くなった友人が、亡くなる前にフラッとうちに寄ってくれた。
彼がすきだった海はたしかこの辺りだと話していたなあと思い、夫婦だった彼女に連絡する。こないだ命日だったんだ。
ほんとに、亡くなった人は思いがけないところで呼んでくれることがある。

漂う空気の中に、そういう意図があるときもある。

旅はまだ続くのだが、
今日浮かんだことはこの、空海からのメッセージ。

そして、今度この友人に向けて、お香を作ってみようと思っている。




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