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【文章補足】受け入れるバージョンアップ

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さて私がなぜこんなにも受け入れる、感じる、そのままにする、ということをくどくどくどくど話しているのかというと、これが内側の探求のベースとしてあるからです。

なぜか同じところをぐるぐるしている感じがする、いつも同じ問題が起こる、というときのほとんどは外側の現実ではなく自分の見るべきところを見れていないから起きています。

問題は外にあるとして内側(自分)にあるとは見れず、外(現実)で解決しようから苦しくなっています。

そのため見るべきは内側です。そしてその内側を見るときに重要なポイントとなるのは、本当はどう思っているのか、そのシンプルな問いかけです。

本当はどう思っているのか、本当はどうしたいか、その思い、まずはそこが最初の鍵です。



これを感じてしまったらずっと辛いとか嫌だとか不平不満を言う人になるんじゃないか、と心配する人もいます。ですがそれを見ないからこそ同じことが起きているし、なんだか生きづらいという感覚になっています。

感情を受け入れる、そのままにする、というのはその感情にずっと浸るとはちょっと違います。もちろん一時的に感情を解放するのを必要とする方もいますが、その感情解放というのは一時的なもので、その感情をただ自分の中に置いてあげる、存在していることをただ見てあげる、そんな感覚に近いです。

苦しくなっている人はその思いをどうにか変えようとしたり、隠そうとしたり、無くそうとして辛くなっています。苦しい、辛い、嫌だと思っていることをダメだと思っているから辛いのです。


ここは自分と感情の癒着が強いほどにそうは思えないのですが、観察していくと本当に感情をただ置いてあげる、そのままにしてあげるだけでいいのだ、とわかってきます。

そして感情というのはやってきては去っていく、流れのようなものなのだ、とわかってくると私はいないとわかって私を生きるという段階に入っていきます。

流れのようなものだとわかると現実は幻想だとわかってきてしまうので、一時的に虚無感を生むことがありますが、この世界をゲームと知りながらも自分を演じて生きるという感覚になります。現実が軽くなる瞬間です。

自分の体をこの世界に貸し出したとしても、本来の自己はとても自由であり、創造性に溢れているということがわかっていきます。本来の自己というのは神(愛)であり、愛はこの世界を創った創造的な力です。なので本来の自己の感覚がわかるとクリエイティビティは当たり前のものとして発揮できるようになります。

創造性はどうやって発揮できるのか、それは単純にエゴを取り下げることです。違う言い方をすると抵抗するのをやめることとも言えます。
最終的には自分にできることは何もないと悟り、捧げてしまうこと、これがあります。

何かすごい能力をつけたり、すごい考え方を身につけるのではなく、エゴを取り下げて一旦静寂の中に入ることで創造性というのは発揮されるわけです。エゴとは逆の考え方をします。発揮されるというより無限のソースにつながってそこから見えるという感じ。

静寂というのはもともと何もない、愛・神そのものです。そこに一旦入るとそこに繋がってさまざまなアイディアが浮かびます。それはもう小さな自分という領域を超えて、どこかに繋がっていて、自分が使われている、そんな感覚です。

そしてそのベースとなるのが受け入れる、です。最近チャクラについて勉強し直しているのですが、やはり探求の旅というのは最終的にはベースチャクラ、今ここ、に戻っていきます。そのため、この肉体を感じる、感じることを許してあげる、ただ許していく、それが鍵を握っているわけです。

今回は以上です。また書きますね。


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