The Lost King~失われし王ルイ=シャルル 第一部(1)ルイ十七世陛下
Ⅰ. ルイ十七世陛下
コミューン【註1】の代理官アナクサゴラス・ショーメット【註2】は、自分に任せれば国王をひとりの人間に作り変えて見せると自信満々に断言していた。
長椅子に座って短い脚をぶらぶらさせながら、時に支離滅裂になりつつも、下賎な表現を用いて雄弁に陳述している亜麻色の髪をした器量良しな八歳の少年。市民ショーメットは、己の崇高なる錬金術の成果をじっくりと眺めた。それは彼の心からの信念を裏付けるものだった。すなわち、例え王族のように堕落した救いようのない素材であろうとも、潜在的には偽りない本来の人間性を秘めているものであり、骨折り次第では、その人間性を顕在化させる事も可能なのだと。
ここでいう骨折りとは、ショーメットの指示に従って、彼が王子の教育係に任命した元靴屋のアントワーヌ・シモン【註3】によって実践された。ずんぐりとした大きな体を、年に約1万リーヴルの俸給を伴う公職にふさわしい装いとして選んだ鮮やかな青いコートで包んだシモンは、この部屋の所有者然とした態度で長椅子の背にもたれていた。彼は教師としての手柄によってショーメットに認められたのみならず、彼の生徒が目下、その成果を実践中である、口にするもおぞましい暗唱を日課として指導したのが明らかな世話によって、市民エベール【註4】からの承認も得た事を誇らかに意識していた。
猥雑極まりない表現を駆使して編集されたコルドリエ・クラブ【註5】の機関紙『デュシェーヌ親父【註6】』の発行人、気取り屋で派手好きなドブネズミのエベールは、時折、眼鏡をかけた粗野な同僚と目配せを交わしつつ、着席したまま拝聴していた。そして陛下の一本調子でよどみない陳述が滞った時には、おぞましい流れを再開させるべく、エベールは適宜、なだめすかすように誘導訊問を差し挟んだ。
テーブルでは、進行役を務めている大柄で無感動な顔をした市長パシュ【註7】の隣で、書記役のダンジュという若い市職員がしきりと筆を走らせていた。彼の唇は堅く結ばれ、その瞳の中には脅えがあった。後年になって、彼は自らの筆で記録していた発言を、ただの一言も信じてはいなかったと世に語る事になるのだが。
かの高潔なるアナクサゴラスはといえば、繊細な感受性の限界に達したというように、時折、好色そうな厚い唇から息を噴き、眼鏡の後ろで白目をむいていた。かようにして、共和国の貧民が勝利を収めるのを確実にせんが為に彼らの代弁者として闘うエベールにより暴露された事柄に対して、ショーメットは己の狼狽を誇示したのであった。
このエベールの尋常ならざる熱意は、王妃の裁判が近づくにつれて公然と囁かれるようになった噂、すなわち、公安委員会【註8】は王妃の解放をオーストリアとの交渉材料にしようと目論んでいるのだという噂を警戒した為であった。あのメッサリナ【註9】を再び地上に解き放って良いものだろうか?ペンと舌とをふるい、己の崇高なる理想を下劣な表現で訴え続けてきたエベールであるが、その彼にして、ここまで口汚い言辞を駆使した事はそれまでなかった。
独善的かつ下劣な怒りで泡を吹かんばかりになりつつ、彼はジャコバン派【註10】議員たちに向け熱弁をふるったものである。「諸君らの名において、既に私はサン・キュロット【註11】にアントワネット【註12】の首を約束しているのだ。であるからして、私は彼らに約束のものを与えねばならん。例えその為に、この手でそいつを切り落とさねばならんとしてもだ」と。
そしてまた、同じく焼けつくような熱意に駆られながら、彼は検察官に意見を求めた。タンヴィル【註13】は王妃の調書に対し、疑わしげに下唇を突き出した。「これでは証拠不十分がせいぜいだな、我が友よ。確実に有罪判決を勝ち取るには、到底足りない。既存の告訴を行うだけでも、政治的配慮が必要なくらいなのだからね」
エベールは政治的配慮を地獄の最下層に放り込んだ。今は公正の時代、啓蒙時代だぞ、政治的詐術なぞ終わったんだ。裏切り者や陰謀家どもが抱く王妃の無罪放免という甘い夢を打ち砕く為に、追加の告発材料を見つけねばならん。
それを見つけだす為に、エベールは友人であるショーメット、その胸中に燃え盛る共和制に対する滅私の精神は我にも劣らぬと認めた男の助けを求めた。
かの不幸な女性を断頭台に送り込む為の更なる告発材料を探すに際して、エベールが、故王の弟に主たる責任がある醜悪なスキャンダルの端切れを利用しなかった点について、筆者はいささか奇妙なものを感じる。プロヴァンス伯【註14】は、王弟という立場に対して、そして己こそが戴くに相応しいと信じて疑わぬ王冠が長兄のものとなった事実に対して、少年時代からずっと憤りを感じていた。ルイ十六世【註15】が長きにわたって子宝に恵まれぬ間、彼は運命が遅ればせながら過ちの償いをする気になったのでは、という希望を抱いていられた。そして輿入れから七年後、マリー=アントワネットは娘を出産し、更に三年後には息子が生まれた。だが、このような出来事があっても尚、彼は絶望には至らなかった。病弱な王子【註16】の先が長くないのは一目瞭然であり、あの夫婦はこれ以上の子宝に恵まれる事もなさそうだと。しかしながら、更に四年後の1785年、健康で力強いルイ=シャルル【註17】が、間もなく確実に王太子となるはずの男児がこの世に生まれ出でた事によって、その叔父の最後の希望は打ち砕かれた。
プロヴァンス伯とは、抜け目なさと愚かさ、威厳と道化の奇異なる混合物だった。しかし筆者は、彼が発信元となって懸命に広めようとした醜聞の真実性について、彼自身が信じていなかったと想定するような不当な扱いをするつもりはない。人間には、己の目的に好都合な事柄、とりわけ己が嫌悪する者たちに痛手を与える類の事柄を易々と信じ込む傾向がある。そして嫌悪はプロヴァンス伯とマリー=アントワネットの間において、互いに勝るとも劣らぬ強さで存在していたのだ。
信じられるだろうか、と彼は懇意の者たちに向かって悲しげに尋ねたものである。七年もの不毛が続いた結婚が、突然、多くの実を結ぶなどという事が有り得るだろうか?少なくとも怪しんでしかるべきであろうし、あの軽薄な王妃に対するフェルセン伯【註18】の愛情深い振る舞いが、高潔というにはあまりに熱がこもり過ぎていたのは誰もが認める処ではないかな?あのハンサムで献身的なスウェーデン人が王妃の愛人であり、フランス王太子殿下が不義の子であるという疑いを、欠片も抱かぬ者など存在するだろうか?
その中傷は、慎重かつ密やかに、しかし悪意に満ちた活発さをもって、宮廷から都市まで、ベルサイユからパリまで広がっていった。かの首飾りの醜聞【註19】、そしてポリニャック家の人々と王妃の関係【註20】についての悪趣味な作り話に加えて、この噂は君主政体の面目に泥を塗ろうとやっきになっていた者たちに更なる武器を与える事となった。
愚かにもプロヴァンス伯は、恐怖に駆られて嵐から逃げ出すまでの間ではあるが、ジャコバン派の思想に傾倒を見せてすらいた。新しい思想の者たちが、その思想とプロヴァンス伯の願いに基づいて、王位継承権から現王太子を除外するやも知れぬというのが彼の浅薄な希望だった。
エベールにとって、これは厄介な問題だった。王妃の不貞は時代を問わず大逆罪にあたる。しかし恐らくは、王権に対する反逆罪が王権を破壊した者たちにとって大きな意味を持つ事は論理的に有り得ぬ為か、あるいは、この告発はエベールが駆使する政略的猥雑性に必要な忌まわしさが足りなかったのであろう。その代わりに、彼はもうひとつの更に甚だしく邪悪な道を選択し、己が知るに至ったという王妃の品行について強弁した。
その件について、彼はショーメットと論じ合った。十三歳にして教会の学寮から追放され、以来これまで不道徳な人生を歩んできた卑しい野心家のショーメットは、恐怖で圧倒された。彼は無骨な顔を赤く日焼けし荒れた両手に埋めた。
「勘弁してくれ。確かに反吐が出るほど王族は嫌いだが、しかし、だからって、俺は人間を辞めたくはないんだ」
その理解し難い激発の後、彼は己の感情に打ち勝つと、仕事に取り掛かった。彼はシモンに指導を行い、次にシモンがそれを少年に教え込んだ。生来の鋭い理解力を鈍らせる為にブランデーで半ば朦朧とした状態にさせられた少年は、ありとあらゆる猥褻な表現を用いて己の発言を自在に修飾する術を教えられ、その無邪気な唇からベルサイユの優雅な発音に代わって陋巷の下層民訛りが発せられるまでに仕込まれたのであった。
今、宣誓証言を聞くショーメットには、少年の現在の有様についてエベールと全く同量の責任があった。この両者は、全ての同席者たちが期待通りに狙い通りの衝撃を受けるであろうと確信していた。ルイ十六世が幽閉中に使っていたタンプル塔【註21】三階の部屋、今はシモンとその妻、そして夫妻が世話する子供が間借りしているその部屋には、現在、少年の他に九名の人間が在室していた。家具にせよ食事にせよ、故王は甚だしい制約を受けてはいなかった為に、この部屋には充分な調度品が整えられていた。壁際に並べられた、薔薇色の絹紋織物張りの長椅子には、今日が当番にあたるコミューンの委員二名、チョコレート職人のウセと医者のセギイが座っており、彼らは深刻な衝撃を受けながら耳を傾けていた。その後ろで高い背もたれの椅子に座っているのは、ルイ十六世の惜しみない引き立てによって高名を得た画家にして、革命政府の式典演出家のジャック=ルイ・ダヴィッド【註22】であり、そのすぐ横に置かれたスツールには、彼が伴ってきた最も有望な弟子のフロランス・ラサール青年が腰掛けていた。この師弟は成人男性が椅子の上に立っても外を覗くのは不可能なほど極めて高い位置にある窓を背にして座っており、ラサールは脚を組んで開いた画帳を膝の上に置いていた。
彼は座ったまま鉛筆の尻で軽く口元を叩いていた。夢想に沈んでいるかのように、その間隔の広い、輝く暗青色の両目は少年をじっと見つめていた。それもダヴィッドに醒まされるまでの事だった。師はラサールの描いた絵を指差した。
「その線はもっと強く」彼は唸るように言った。
弟子が指示に従ったのを見て彼はぶつぶつと是認を口にしたが、その醜貌に浮かんだ微笑は、腫瘍で損なわれた上唇のせいで嘲るようにねじれていた。「これで全体が見違えるようになったのがわかるか?奥行きが深まっただろう?ほんの少しの描き込み、数本の線だよ、フロランス。たったそれだけで、顕著な違いが出る」彼は親しげに若者の肩に手を置き、重々しく言った。「似せるというのは、真実を描く事とは違うのだ。君はその点を勘違いしている。君が簡素な表現を身に着けさえすればな。厳格簡潔な」
「描き直してみます」弟子は小声で応じた。彼は画帳を一枚めくると、別のアングルから対象を眺める為であるかのように装って、自分のスツールを師の椅子から離れた位置に移動させた。
だが彼は、すぐに描き始めようとはしなかった。陰鬱な仮面の如き表情を変えぬままに、その黒い眉の下から、下劣なレッスンの成果をペラペラとしゃべり続ける少年に向けて視線を放っていた。
年齢のわりに小柄でふくよかな幼い王は、緑のカルマニョール【註23】を着せられており、その胸には青白赤の円形章が留められていた。ふっくらとして色白な顔は不自然に赤らんで、その子供らしい愛嬌も、今は成人男性の態度や挙動を猿真似する生意気な空威張りによって損なわれていた。高く孤を描く眉の下、青い瞳には不自然な煌めきがあり、忌まわしくも抑制が失われている兎に似た小さな口からは、自分の母親をギロチンに送り込む為の偽りが引き出されていた。
少年を見つめるラサールに、突如、彼には根本的に欠落しているとダヴィッドが嘆いた、深遠なる天啓がもたらされた。
「君は優秀な素描家だ、フロランス」一度ならず、師は彼に告げた。「だが、如何にデッサン技術を身に着けようと、知性か情動が君の作品に命を吹き込まない限り、君は芸術家には成り得ない」
一瞬にして彼は、この場が二通りの意味を含んでいるのを悟っていた。芸術家の洞察力を与えられた精神によって、この哀れな酔っぱらいの少年の中に、冷笑的で無情な喜劇性、もしくは深く心を穿つ悲劇性という主題を見出していたのである。
彼の鉛筆は素早く、着実に動いた。そしてダヴィッドを喜ばせるような無駄のない描線によって、ラサールは肖像画であり物語でもあるスケッチを、あっという間に描き上げた。
ラサールが鉛筆を走らせていた間に、少年の宣誓供述は終わっていた。市長のパシュが咳払いして、証言はこれで全てかと尋ねると、理性の女神【註24】の捏造者である無神論者のショーメットは、彼が懸命に廃棄しようとしているはずの神に誓って、更なる証人の召喚を申請した。戦慄の晩餐は、腐り果てた王族の害毒が及ぶ領域内でのみ、したためられるものでありますと。其処でパシュは、その者たちを法廷に召喚すべきであろうと主張して、丁度ラサールがスケッチを描き終えるのと同時に、マリー=テレーズ・カペー【註25】を呼ぶ為にダンジュが上階に送られた。
その小休止の間にエベールは席を立ち、ぶらぶらと歩いてやって来ると、ラサールの肩越しにスケッチを見た。彼は気取った態度でそれを称賛した。画学生は上の空だった。ぼんやりとした様子で座っている彼は、ダヴィッドがかけた称賛の言葉にさえ気づいていないようだった。だが、エベールは頑強に、他の者たちが彼の芸術的満足を分かち合う事を望んだ。
「失敬、市民」と声をかけ、彼はラサールから画帳を取り上げた。
その画帳をテーブルに運ぶと、彼はパシュとショーメットの間に身を乗り出して、スケッチに注目するよう促した。
ショーメットは眼鏡を調節した。スケッチから少年に彼の視線は移り、そして再びスケッチへと戻った。彼はくすくすと笑い声を漏らした。
「彼の鉛筆には悪魔が宿っているな」とショーメットは認めた。彼は隣の男をつついた。「御覧なさい、パシュ」
しかし己が役職と、その職務の重要性を猛烈に自負するパシュは、それを不謹慎な行為と受け取った。苛立ちながら、彼は画帳を押し返した。
「つまらんもので煩わせんでくれたまえ。君は、我々の目的をわかっとるのかね?」
「つまらんもの!」画帳を拾い上げるとエベールは言った。「これは、つまらんものではありませんぞ。後世においては、歴史資料として扱われるかもしれんものだ」それから馬鹿にしたように付け加えた。「貴方に芸術的な素養が欠けているのは残念ですな、パシュ」
エベールが画帳を持ち主に返したのは、再びドアが開き、ダンジュが内親王殿下を入室させた時であった。
ラサールの同情的な目は、痩せた身体に喪服をまとった十六歳の青白い少女を観察したが、彼女と長椅子に座る少年とは、非常に良く似ていた。彼女は少年と同じ亜麻色の髪、同じ白い皮膚と青い目をしており、そして同じく孤を描いた眉は、彼女の方は常に驚きの表情を浮かべているように見えるほど、くっきりとしていた。なだらかで丸い顎には少年の印象深いえくぼを欠いていたが、口のラインは瓜二つであり、上唇は少年のそれと同じく、少し突き出していた。
生まれて初めて自分の両足で立ち上がった日から、彼女は最も深い敬意を向けられる対象だった。この王国で最も高貴にして高い地位をもつ男女は皆、彼女がベルサイユ宮の回廊や並木道を通り過ぎる時には、畏まって整列し御意を待ち、深々とお辞儀をするか、彼女の高位に対してへりくだり、片膝を曲げて会釈した。出生の権利に帰する、侵す事のかなわぬ内的認識だけが、今、この粗野な男たちによるこれ見よがしの無礼に直面した彼女に――未だ子供といってよい年齢ながら――ほとんど軽蔑的なまでの自制を保たせていた。彼女の目には、彼らの攻撃的な態度は、彼女ではなく、彼ら自身を損なうものに見えた。彼女が何者であるか、生まれながらにして如何なる身分に定められているのかは、彼らの下品な振る舞いによって損なわれる事はないのだ。
わずかの間だけ狼狽を見せたのは、彼女の視線が初めて弟の姿をとらえた瞬間、先頃受難にあった父に対する哀悼を表して、自分と同じく喪服に身を包んでいるべき弟が、緑のカルマニョールと派手に縞模様の入ったベストを着ているのに気づいた時であった。
それから内親王殿下は、平等思想を誇示するように彼女の面前で座ったままでいる男たちに、軽蔑を込めた眼差しを向けた。パシェと同様に、長椅子上の二人の職員も円形章付きの帽子を被ったままで、その片方――ウセのもの――には、身分証明書――セルティフィカ・ド・シヴィスム【註26】――とジャコバン・クラブの会員証が誇示されていた。セギイは煙草をふかしており、そしてショーメットはといえば、自分のむき出しの頭が誤解を招くのではないかと突然の不安に駆られ、青白赤の羽飾付き帽子を掴むと、手入れが悪く艶のない黒髪の上に慌てて乗せたのであった。己は革命という大釜の浮き滓に過ぎぬと自覚しているこの輩は、官能的な戦慄を覚えつつ、歴代の王たち――王とは造物主から恩寵を与えられた特別な存在であるという根本概念を、己の中からどうしても拭い去る事ができなかったが故にこそ彼が嫌悪して止まぬ王たちの末裔として大切に養育された小娘の高慢な頭を、いわば自らの足で踏みつけにするのを可能にした任務を堪能していた。
彼は今、眼鏡越しに少女を睨んでいた。だが彼女の注意は、三か月前に塔の四階にある部屋から連れ出されてシモンの世話に委ねられて以来、一度も姿を見ていなかった弟に戻っていた。彼女は弟に向かって一歩踏み出し、何事かを語りかけようとしている様子であった。それから彼女は急に動きを止めて思いとどまり、当惑していたが、それは弟の中に見出した微妙な変化と、その態度自体が成さしめたものだった。
少年は再び脚をぶらぶらとさせていたが、それは先程までと同じ快活な調子ではなく拗ねたような風情で、その表情はむっつりとして不機嫌そうだった。少女の率直な眼差しに呼び起こされたが如く、彼の幼い精神の深い場所から、彼女に糾弾されるかもしれない罪についての漠然とした自覚が生じた。それ故に、愛する姉の出席に対し説明のつかぬ憤りがこみ上げたのである。突然、パシュのしわがれた声に注意を奪われなければ、彼女はその障壁を突破していたかもしれないが。
「テレーズ・カペー、よろしければ、こちらに注目を」
彼女は無礼な呼びかけに身を堅くした。しかし抗議するのは己を貶める行為と思った彼女は無言で彼に対面し、つんと顎を上げた。
尋問が開始された。彼は大胆不敵なる冒険家、ジャン・ド・バッツ【註27】の計画による王妃救出の陰謀に加担した職務に不忠実な二名の委員と、彼女自身と母親と叔母との共謀関係についてを事細かに質問した。この件については、既にタンプル塔の当時の守衛であり、現在は彼自身も塔の囚人であるチゾンという男から証言を得ている。しかしパシュの質問は、チゾンが認めたものよりも、更に多くを引き出す事を狙っていた。
真実のみを述べるよう心せよ、という警告に対する彼女の唯一の返答は、憤慨を込めた眼差しだった。それを除けば、完全に知らぬ存ぜぬの一点張りを固持していた。彼女の冷ややかな拒絶に困惑した市長は、遂に自分の椅子に背を預けると、隣席の職員に声をかけた。
「小カペーの宣誓証書を読み上げたまえ。恐らく、それで彼女の記憶は回復するだろうから」
ダンジュの無感動な声が、二人の思い遣りある友人たちについてのみならず、職務を裏切るように彼らを誘惑した王妃の画策についても告発している弟の署名入り文書を読み上げる間、彼女は一、二度、当惑の視線を少年に向けたが、其処に見たものは嘲笑的なにやにや笑いであった。
「何か発言すべき事はありますか?」最後にダンジュは彼女に向かって問うた。「貴女は、貴女の弟の証言について、真実性を認めますか?」
再び、彼女の深刻で責めるような視線が弟に向けられた。それは彼の憤りを増す効果を発揮した。
「アンタはソイツがホントだって知ってンだろ」少年は不機嫌に叫んだ。「ぜんぶホントのこった。クソいまいましいほどベラボーにな」
恐らく彼女に最も衝撃を与えたのは、幼い王の唇から発せられた品のない野次だった。彼女が再び質問者に向けた眼差しは、その声と同じく厳しい色を帯びていた。
「確認する事など何もありません。私はこの問題について、何の知識も有しておりません」
「貴女の弟はこの問題を知っているというのに、そのような事は有り得るでしょうか?」
「私よりも、彼の記憶力の方が優れているのかもしれません」
「貴女の証言は、それで全てですか、お嬢さん?」
ショーメットはダンジュの背後までやってきた。彼はダンジュを見下ろす位置に立った。
「次に行こう。宣誓証書を寄越したまえ」
ダンジュはそれ以上の事をした。彼はショーメットに自分の席を譲ったのである。
「更に重大で、更に嘆かわしく、更に恐ろしい問題だ」かようにして代理官は譲られた席に落ち着くと、眼鏡を磨いた。服装はだらしなく、衿は傷んでおり、汚い平織りのタイはもつれ、如何にも単純素朴そうな佇まい。このコミューンの猟犬には、田舎校長のような雰囲気があった。
眼鏡をかけ直し、騒々しく咳払いしてから、彼は読み上げ始めた。行数は1ダースにも満たなかった。しかし人の世においてこれまでに書かれた何十行もの文章の中でも、実の母親がわずか八歳の子供から受けた告発として、これほど多くの醜行を詰め込まれたものが存在したかどうか【註28】。
ショーメットは書類を下に置くと、テーブルに肘をついて身を乗り出した。「聞きましたな。貴女はこれらについて、自分の気づかぬ処で行われた問題だ、などという主張はせんでしょうな。貴女は彼らと共に暮らしていたのであるから、彼らの行状に気づいているのが当然だ。それを認めるかね?」
彼女は当惑した。「気づく?一体、何に気づくというのです?」
「真実だ、無論。たった今、貴女に読み聞かせた事だ」
「けれども私は、そなたの読み上げた内容が理解できません」一点の曇りもなく率直な眼差しは、彼女の声に含まれた苛立ちが装ったものと疑う事を不可能にした。
「もっと、はっきりとした表現を使う必要があるな」エベールが言った。「遠まわしに言って何の益になる?開けっぴろげでいこうじゃないか。我々は解放された時代に生きているんだ」
代理官は悲憤慷慨した。
「神よ!このような邪悪極まりないほのめかしで唇を汚し、恥を忘れて、あらゆる慎みを打ち捨てるだけでは充分ではないのか?しかしながら、貴女が無邪気を装う以上は、お嬢さん、私は嫌悪に打ち勝って、はっきりとした物言いをせねばならんようですな」
けれども彼があけすけな表現で語った時でさえ、内親王殿下の穢れなき純真は、しばしの間、その意味を悟らぬままでいた。だがしかし、遂に彼の意味した処の全てのおぞましさと獣性は、彼女の心に突然破裂した。紅潮が生じ、それは首から額へと、彼女の柔らかな丸い顔で濃くなっていった。ショーメットは、この侮辱によって彼女の鎧に穴が穿たれたのだという確信を味わっていた。その燃えるような表情、その震える唇、突然、彼女の目を満たした涙、それらはショーメットが遂に彼女の軽蔑的な無関心を焼灼した事を示す、歓迎すべき兆候の数々だった。
「返答がありませんな」彼は苦情を言い、言葉によって王女としての怒りを煽った。彼女は前に進み出た。その涙は、今や閃光を放つ両目からこぼれ落ちていた。
ダヴィッドは弟子をつついた。「この瞬間を捉えろ!素早く!正面斜め横からの、君に見えるままの彼女を描くんだ」
ラサールは言われるままに鉛筆を動かした。指示に従う方が、自分は獣でも機械でもないのだとダヴィッドに説明するよりも容易だったからである。そうする間に、少女の声が響いた。
「答えろと、そなたは言うのか?そのような事を要求するのか?このような汚らわしい作り話に、なんと答えよと申すのか?これほどに邪悪で、下劣で、おぞましいものに?」
「はい、はい」ショーメットは言った。「邪悪で、下劣で、おぞましい、我々も同意しますぞ。こういった事柄を口に出す事を、私は恥ずかしく思っている。だが、作り話?仮にこれが捏造だとしたら、それは我々がでっちあげたものではありませんぞ。私が読み上げた文章は貴女の弟の証言だ。こういった事柄は、八歳の子供の頭で思いつけるようなものではないと思うのだがね」
「私の弟の!」確かにそれは、しばしの間、失念していた事だった。それを指摘された彼女は急に口をつぐんだ。弟の方に目を向けると、興奮し不機嫌な様子で其処に座る少年は、よくはわからないが、自分は叱られるような事をしてしまったらしい、という意識から、鞭を恐れる犬のように、こっそりと彼女をうかがい見ていた。
「なんて破廉恥な!」彼女は叫んだ。「お前がこんな嘘を吐くなんて」
長椅子で身体を揺する彼は、先程と同じく反抗的な様子だった。
「いいか。そいつぁ本当の事だ」シモンは彼の方に身を乗り出すと、励ますように少年の肩を軽く叩いた。「お前は、そいつが掛け値なしの本当の事だって知ってるんだ」
彼女が鋭く息を呑む音が聞こえた。「なんて事!お前は自分が何を言っているのか、わかっていないのよ」
「おう、モチのロンだぜ。俺っちは、テメェがなんていってるか知ってらぁ、ソイツがホントのことだって知ってらぁ。アンタも知ってンだろ」
「ありえない!この子が、そんな事を知るはずがありません」彼女は自分を苛む者たちと対決する為に、再び向き直っていた。八人の男たちをぐるりと見渡す間、彼女の悲痛な両目は一人ひとりを観察した。しかし、その内の二人以外は皆が冷ややかであるか嘲るような様子で、残る二人――ダヴィッドとラサール――は、彼女の苦悩する姿を見てはいなかった。この両名は、下を向いていた。ダヴィッドは彼女の発言を記録する為に筆記中であり、スケッチをするふりをしていたラサールの顔は肖像画に向けられていた。
ショーメットは指示を求めてエベールを見た。エベールは下唇を突き出し、肩をすくめた。「彼女は頑固だ、いやまったく。時間の無駄だな」
「いいだろう」ショーメットはダンジュから筆記された紙を受け取った。彼はマダム・ロワイヤルに向かって進み出るように合図をすると、ペンにインクを浸してから差し出した。「よろしければ、ここに署名を」
彼女は疑わしげに、怪しみながら彼を見た。それから彼女は書類に目を走らせて、それが自分に対する質問と、その返答以上の何も含んでいないのを確認すると、無言でそれに署名した。
ダンジュはマダム・ロワイヤルを再び連れて行く為に立ち上がり、彼女がテーブルを離れると同時に、姉が出て行こうとするのを見た幼い王が長椅子から滑り落ち、おずおずと彼女ににじり寄った。少年は彼女を愛していた。彼はこの三ヶ月、彼女の不在を酷く寂しく思っていた。母の不在を寂しがるのと、ほとんど同じくらいに、そしてバベット叔母様【註29】の不在を寂しがるよりも強く。彼は孤独で、愛情を切望していた。シモンとその妻は粗野な優しさで彼に接し、今では彼も、その下賎な振る舞いに順応していた。同様に、タンプル警備隊の兵士たちが互いに彼の身体を投げつけあい、彼の顔に煙草の煙を吹きかけ、彼をシャルルと呼ぶ事にも既に慣れて、最早、憤慨する事もなくなっていた。実際、彼は既に、兵士たちの間に混じって楽しむようになっていた。兵士たちの間で一人前の男のように振る舞い、甘くしたブランデーを飲み、罰当たりで猥褻な表現に富んだ下層階級の言葉を学び、そして彼らも面白がって品のない革命歌を少年に教えた。かつては厳格な礼儀作法に従って暮らしていた子供にとって、これらには心躍るような解放感があった。だがしかし、三ヶ月前に彼から乱暴に奪われた母や姉や叔母の愛情の代わりになるような暖かさは、其処には存在しなかった。
マリー=テレーズの存在が次第にそれを悟らせた。どうしてかはわからないが、自分は彼女の気持ちを害してしまったのだ、という漠然とした意識が彼の孤独感を増して、それが二人の間の溝を埋める為の愛情表現に駆り立てた。
そのような訳で、少年はこの時、悲しげな様子で彼女に近寄っていった。自分の指に絡めようとする彼の指を感じるまで、彼女はそれに気づいていなかった。驚いた彼女が視線を下に向けると、悲しげな、弱々しい微笑みを浮かべた顔が見上げていた。彼女の表情は急変した。自分の手をひったくると、彼女は少年から後ずさった。
「さわらないで!私に触れる事は許しません!私に言葉をかける事は許しません!」彼女は息を荒げた。「小さな怪物!私は決して、お前を許さない。絶対によ!」
彼は当惑し、しばし呆然と立ち尽くした。それからすすり泣きに身を震わせ、目を涙で一杯にした。またしても、すぐさま彼の肩に手が置かれた。長椅子から彼の後を追ってきた大柄なシモンが耳障りな声でなだめるように語りかけた。
「そら、シャルル。俺っちと一緒に座ってるんだ。すぐに、お前のバベット叔母ちゃんが来るからな」
幼子は涙の霧を通して姉の姿を追ったが、しかし硬い身ごなしで、頭を高くもたげ、彼女は部屋から消えてしまった。
「俺っちのこと、怒ってたよ、市民シモン」彼はすすり泣きながら言った。「どうして俺っちに怒ったんだい?」
シモンは彼をなだめる為に肩を軽く叩いた。「あんなアマっ子なんざ、気にすんな。ちっこいお貴族さまよ」
訳註
【註1】:ここでは1792年8月10日の王権停止から1794年7月27日までパリの行政と治安を担当していた自治市会、パリ・コミューンを指す(首都パリは王権の直接支配下にあり、そもそもは「コミューン都市」ではなかった)。大革命直後はパリのあらゆる地区の急進的活動家が集い、コミューン評議会はパリ市民の代弁者として国民議会の決定をも覆す力があったが、本章の時期(1793年10月)にはショーメット、エベール、パシェらに決定権が集中し、評議会は執行部の決定を追認するだけの機関と化している。
【註2】:アナクサゴラス・ショーメット(1763年5月24日 -1794年4月13日)
エベール派の政治家。急進的な脱キリスト教運動を推進し、自身の名前もクリスチャンネームである「ピエール・ガスパール」からギリシア語の「アナクサゴラス」に改めた。1792年10月にパリ・コミューンの検事相当職である代理官に就任。マリー=アントワネットの裁判も担当。
【註3】:アントワーヌ・シモン(1736年 - 1794年7月28日)
パリのコルドリエ通りで靴屋を営んでいた無学な男。エベールの推薦により、タンプル塔に幽閉されたルイ十七世の世話係に任ぜられた。
【註4】:ジャック・ルネ・エベール(1757年11月15日 - 1794年3月24日)
ジャコバン派内の急進派を主導。サン・キュロットの領袖を自認し、大衆迎合した言論活動によって支持を得ていた。王政廃止と国王夫妻の処刑を求めて画策。タンプル塔の監視委員でもあった。
【註5】:正式名称はSociété des Amis des droits de l’homme et du citoyen(人間と市民の権利の友人会)。パリのコルドリエ地区にあった人民結社。革命家グループの中でも急進的君主制廃止論勢力であるエベール派が主導していた。
【註6】:Le Père Duchesne 1790年9月にエベールが創刊した新聞。下品な表現で右派(王政維持派)を罵り大衆を扇動し、貧困層の人気を獲得した。エベール本人を指すニックネームとしても用いられる。
【註7】:ジャン=ニコラ・パシュ(1746年 - 1823年11月18日)
1793年2月にパリ市長に就任。元はジロンド派(穏健共和派)だったが、本章の時点では急進左派のエベール、ショーメットらと共闘している。
【註8】:Comité de salut public 国民公会内の一機関であるが、テルミドール9日のクーデター以前においては、事実上の革命政府だった。本章の時点ではマクシミリアン・ロベスピエールをリーダーとする十二人体制。
【註9】:ローマ帝国第四代皇帝クラウディウスの皇妃ウァレリナ・メッサリナ。「強欲で冷酷な悪女」の代名詞的存在。
【註10】:ジャコバン・クラブに集った様々な思想グループによる政治闘争の末、本章の時点ではモンターニュ派(急進共和派)が牛耳っており、マクシミリアン・ロベスピエールを中心とする派閥の主導により恐怖政治が進行している。国民公会で左側の席に座った為に「左翼」「左派」と呼ばれる。
【註11】:Sans-culotte 上流男性の服装であるキュロット(半ズボン)ではなく、長ズボンをはくような社会階層、つまり固有の財産を持たない下層市民を指す。
【註12】:マリー=アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリシュ(1755年11月2日 - 1793年10月16日)
フランス国王ルイ十六世妃。神聖ローマ皇帝フランツⅠ世シュテファンとオーストリア女大公マリア=テレジアの十一女。長年にわたるオーストリアとフランスの国家対立解消の為にフランスへ輿入れしたが、革命期には旧体制の悪の象徴的な立場に置かれる事となった。
【註13】:アントワーヌ・フーキエ=タンヴィル(1746年6月12日 - 1795年5月7日)
革命裁判所検事。恐怖政治期に夥しい人々をギロチン送りにした。テルミドールのクーデター後に罷免されて、元裁判長、元判事らと共に革命裁判の被告となり、処刑された。
【註14】:プロヴァンス伯爵ルイ・スタニスラス・グザヴィエ(1755年11月17日 - 1824年9月16日)
ルイ十六世の弟。復古王政期にルイ十八世として王位に就いた。(在位1814年4月6日 - 1815年3月20日、1815年7月8日 - 1824年9月16日)。
【註15】:ルイ=オーギュスト(1754年8月23日 - 1793年1月21日)
ルイ十五世の孫。ブルボン朝第五代フランス国王ルイ十六世(在位1774年5月10日 - 1792年8月10日)。保守的な大貴族の抵抗により政治・財政改革に失敗。税制問題をきっかけに聖職者・貴族・ブルジョワ平民で構成される三部会を約170年ぶりに復活させるが、議決方法をめぐって紛糾。この時の第三身分(平民)議員達が国民議会を形成し、共和主義革命につながった。国民公会の投票により死刑判決が下され、斬首刑に処された。狩猟と錠前造りを愛する穏やかな人物だった。
【註16】:ルイ=ジョゼフ・ド・フランス(1781年10月22日 - 1789年6月4日)
ルイ十六世の長男。七歳半で逝去。
【註17】:ルイ=シャルル・ド・フランス(1785年3月27日 - 1795年6月8日)
ルイ十六世の次男。フランス王国王太子(ドーファン)。革命勃発により国王一家と王妹エリザベートはタンプル塔に幽閉されたが、父王ルイ十六世の処刑により、ルイ=シャルルは獄中に在りながら王党派から新王ルイ十七世として推戴される立場となる。1793年7月3日に別階の個室に隔離され、エベールの指名した教育係である文盲の靴屋アントワーヌ・シモンによって「共和国市民」としての洗脳教育を受けた。
【註18】:ハンス・アクセル・フォン・フェルセン伯爵(1755年9月4日 - 1810年6月20日)
スウェーデン国王グスタフⅢ世の寵臣。青年期にはパリの社交界に出入りし、フランス王妃マリー=アントワネットとの親密な交際から愛人関係を噂された。革命勃発後、グスタフⅢ世の命を受けて国王一家の国外脱出を図るが失敗(ヴァレンヌ事件)。
【註19】:1785年、「ヴァロワ王朝の末裔」を称するジャンヌ・ド・ラ・モット伯爵夫人が、王妃の所望と偽り160万リーヴル相当のダイヤモンドの首飾りを騙し取った詐欺事件。
【註20】:ルイ十五世時代には家運の衰えていた名門ポリニャック家は、ポリニャック夫人ヨランド・ド・ポラストロンが王妃マリー=アントワネットのお気に入りになる事によって権勢を回復し、陞爵や多額の年金等の恩恵を受けた。その為、アントワネットに反感を持つ者たちからは「王妃はポリニャック夫人ら寵臣たちと同性愛の乱交に耽っている」という中傷が行なわれていた。尚、ポリニャック夫妻は革命が勃発すると早々に国王一家を見捨ててオーストリアに亡命した。
【註21】:元々はテンプル騎士団の修道院だったが、1776年にアングレーム公の所有となる。革命時には大塔が国王一家の幽閉場所として使用された。1808年にナポレオンの命令により解体。
【註22】:ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748年8月30日 - 1825年12月29日)
フランス新古典主義を代表する画家。ルイ十六世の治世からナポレオン失脚までの激動期に活躍。ジャコバン派として政治活動にも積極的に参加し、国民公会議員として国王の処刑に賛成票を投じている。若年から左頬に腫瘍があった為に発音が不明瞭だった。詳しくは上巻の巻末解説を参照。本章に登場するルイ=シャルルの宣誓証言書にも保安委員会委員代表として署名している。
代表作『La Mort de Marat マラーの死』『Bonaparte franchissant le Grand-Saint-Bernard グラン・サン=ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』『Le Sacre de Napoléon ナポレオンの戴冠』
【註23】:カルマニョールは当時の革命家たちが着ていた丈の短い上着。トリコロールの円形章(花形帽章)はフランスの共和主義者が自らの政治主張をアピールする為に、三角帽の縁などに付けた装飾品。また、縞模様は革命の象徴だった。
【註24】:la déesse de la Raison フランス革命中のキリスト教破棄運動において、理性を宗教上の対象とする事によって国民をキリスト教から切り離そうと試みたもの。エベール、ショーメットらが推進した。
【註25】:マリー=テレーズ・シャルロット・ド・フランス(1778年12月19日 - 1851年10月19日)
フランス国王ルイ十六世と王妃マリー=アントワネットの第一子。嫡出の第一王女を指す「マダム・ロワイヤル」の称号で呼ばれた。
【註26】:certificat de civisme パリ・コミューンによって発行された市民権の証明書。市民の義務を果している証であり、所持していない者は逮捕される場合もあった。
【註27】:ジャン=ピエール・ド・バッツ男爵(1754年1月26日 - 1822年1月10日)
フランスの金融業者。王党派の活動家として暗躍。ちなみにサバチニの『スカラムーシュ』続編、"Scaramouche the Kingmaker"はアンドレ=ルイとバッツ男爵が結託して恐怖政治時代のフランス政界を撹乱する物語であり、本章で言及された王妃救出未遂事件は物語前半の山場になっている。詳しくは上巻の巻末解説を参照。
【註28】: エベールとショーメットは、王妃に死刑判決を下す為に「マリー=アントワネットは実の息子であるルイ=シャルルを強姦し、王妹エリザベートも甥に対する性的虐待に加わった」という証言書を捏造して、1793年10月6日付けでルイ=シャルルに署名させ、10月8日に姉王女マリー=テレーズとエリザベートを個別に呼び出し尋問を行った。
【註29】:エリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランス(1764年5月3日 - 1794年5月10日)
ルイ十六世の妹、フランス王女。バベットはエリザベートの愛称。信心深く慈愛ある人柄で福祉にも熱心だったが、兄王一家と共にタンプル塔に監禁された後、革命法廷にて「カペー一族の謀略の共犯者」として死刑宣告を受け刑死。