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アラフォーがアラフォーを食べて喜ぶ

四十路に差し掛かった人のことを「アラフォー」、五十路の人を「アラフィフ」なんて呼ぶ時代がありましたが、今でも使う言葉なのでしょうか。自分はなんとなく恥ずかしくて堂々と使ったのは今が初めてです。

ではなぜ今アラフォーという言葉を使ったのか。恥知らずなのか。やけくそなのか。老害というやつか。否。

どうしてもアラフォーと言わなければいけない事情があるのです。なぜならアラでフォーを作ったことを書こうと思ったからです。誰が?それはアラフォーの僕が。ダジャレ言うようになったらいよいよだってよ。

根魚のアラ出汁は黄金汁

先日5歳の息子さんと一緒に赤い魚をたくさん釣りました。

それで、唐揚げにしたりお鍋にしたりして大変喜んだのですが、翌日の昼時、仕事場兼物置部屋の自分の部屋から台所へ向かった自分は、まだアラ出汁がガスコンロに残っているのを見つけたのでした。

「フォーをつくるしかない」。瞬間的にそう思いました。

これまでも自分は、釣り帰った魚のアラで出汁を取り、その出汁を正確に味わいジャッジするための調理法としてフォーを採用してきました。

たとえば、マゴチのフォーとか・・・

ワタリガニのフォーとか・・・

ほんなことだもんで、家にはフォーの乾麺が常備してあるんさね、昼時にカサゴ、アカハタ、ユカタハタなどの根魚軍団から取った出汁でフォーをつくるのは、当然というか必然というか、決定事項、みたいな感じなのさね。

作るといっても、アラの出汁はすでにとってあるので、そこにナンプラーや塩などをまじない程度にたらして、茹でたフォーにゾゾゾ~と注ぐだけです。乾燥パクチーと、アラの身をトッピングして完成。

もうこんなのは食べなくても美味いのはわかっています。だから食べないという選択肢もあるのですが、せっかく作ったし、財布には小銭しか入ってないし、学校ないし、嫌じゃないし、カッコつかないし、花を入れる花瓶もないので食べることにします。

平日の昼下がり、アラフォー男性がアラフォーを独りですすっております。ゾゾ、ゾゾ、という音だけが築40年を超えた古民家になりきれない中途半端な古い家に響き渡ります。おそらく3分ぐらいでアラフォーを食べ終えたアラフォー男性は、しばし放心してぼーっとしたあと、思い出したように丼と箸を流しにもっていき、背中を丸めて洗って水切り場に置き、濡れた手をタオルで拭き、再び2階の仕事場兼物置部屋に戻っていきました。猫はその間一度も起きませんでした。台所にはかすかに温めたアラ出汁の匂いが漂い、今さっきまで人がいた気配を残していましたが、それもすぐに消えました。

とまあ「アラでとった出汁でフォーつくって昼飯に食った」と要約すれば1行で終わる話です。

ちなみにこのままうまくいけば来年あたりには48歳になる自分は、もう今ぐらいからアラフィフと名乗ればいいのでしょうか。

「俺、もうアラフィフでさあ」と語ってる自分を想像すると、死にたくなるほど恥ずかしいです。多分鼻毛がでていそう。

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