知らぬ間に受けていた母の影響
先日、娘が突然おもちゃに付いていたおまけのシート↓を手に取り、ものすごいテンションで物語を話し始めた。
みんなが!
なかよくあそんでると!
ダダンダダンっていきました!
いちご! いちご! みかん! りんご!
いきました!
おしまい!
話し終え、満足げにきゃははは〜と笑う。
きゃわわわわ。
思わずアンコールをしてスマホで撮影し、何度もニヤニヤしながら見返した。
そしてふと思い出した。小さい頃、自分で創った物語をノートに描いて遊んでいたなぁ、と。といっても、物語というほどたいしたものではない。背景を自分で描いて、そこに当時気に入っていたウサギやお花のシールをペタペタと貼っただけの、数ページで終わる短いお話。
題名は、『うさちゃんのピクニック』だったかなたしか。
まっさらなページが多く残っていたそのノートは、後に母との交換日記になり……今でも母の手元にあるはずだった。
「あれ、どんな話だったかなぁ」
一度気になったら見たくなってしまって。先日母と電話で話した際、スマホで写真を撮って送ってくれないかと頼んでみた。
「お母さんとやってた交換日記に描いてあるはずだから」と言ったけれど、母はあまりピンと来ていない様子で、
「ええ。そんなんあったっけ? ま、探してみるね」
そう言って電話を切った。
数日後、母からLINEが届いた。
母とは、ちょっとしたすれ違いが多々ある。
今回も、「スマホで写真を撮って送ってほしい」と伝えたつもりが、わざわざ原本を郵送してくれたらしかった。
そして「マンガらしきもの」とは……?
特にそれらしい記憶を思い出せないまま、翌日になった。
届いたのは、コートが一着入りそうな、やたらでかい、しっかりめの厚手の紙袋。間違いなく交換日記以外のものも入っている重量感。
嫌な予感が頭をかすめつつ、ガムテープでがっちがっちに封をされた紙袋を開けた。
そうきたか、と思った。
紙袋の中に入っていたのは、母との交換日記ではなく、小学校や中学校時代に友人としていた交換日記や、吹奏楽部に情熱を注いでいた頃の日記など、計7冊。
母とは、ちょっとしたすれ違いが多々ある。
たしかに「ノート?」って、クエスチョンマーク付いてたもんね。
そんなすれ違いに最初は笑っていたけれど、恋の話や先生の愚痴やあれやこれやが詰まったこの交換日記たちをまさか母が見てやしないかと思ったら、尋常じゃない恥ずかしさでぞっとした。
自分で読み返す勇気もなく、これらの黒歴史集はタンスの奥底に封印してある。
それはさておき、前日から気になっていた「マンガらしきもの」。
その正体は、これらだった。
B4サイズの画用紙に描かれた童謡と挿絵。
その数32ページ。
ちなみにカツオみたいな少年は兄で、32〜3年前というと、今の娘と同じくらいの年齢に描いたと思われる。
考えることが一緒だなぁ、と思った。
というのも、私自身つい最近まで娘への絵本を作っていたから。
思い返すと、幼少期に住んでいたアパートの壁には、母が描いたアンパンマンやドキンちゃんなどの絵があちこちに貼ってあった。
兄も絵を描くことが好きで、今でも絵を描く仕事をするためにがんばっているらしい。
私も絵を描くのが好きだ。最近はnoteにちょくちょく娘のイラストを載せている。
こうやって改めて思い返さない限り忘れてしまいそうなことだったけれど、私たち兄妹の「絵を描くのが好き」の根源は、母にあったのかもしれない。
そういえば、夫も。
夫は裁縫が得意なのだけど、好きになったきっかけを辿ってみると、「小さい頃オカンがよく裁縫をしていたから」だった。
きっと母親たちも意図していなかったと思う。もし裁縫や絵を描くことを強制的にやらされていたら、好きどころか嫌いになっていたかもしれない。
私たちは、母親たちが自分の好きなことをやっている姿を、ただ見ていただけ。
結果論っぽいけど、やっぱり親の趣味趣向って少なからず子どもに影響するんだなぁと、身をもって実感した。