ドトールはぼっち貧乏に優しい
どこで学んだのかは忘れたが、
人間関係 2:6:2の法則を意識しながら生きるようにしている。
この法則によれば、他人は
2割の人は、私のことを絶対好き。
2割の人は、私のことを絶対嫌い。
6割の人は、どちらでもない。
らしい。
誰からも好かれなければ、がんばって良い人に、人格者にならねば!と何かに追われていた時期もある。
誰からも好かれる人格者になりたい、と願っていた中学生だった。
今、人格者になりたいと嘯く中学生が目の前に現れたら、微笑ましくて笑ってしまうが、当時の私は本気だった。
他人に奉仕すること、機嫌を損ねないことで、人格者を目指していたのだろう。
そんなことで、自分の気持ちを失ってしまった私は、人格者がどうのこうの言ってる場合じゃ無くなったわけだが、
この法則は、だいぶ肩の荷がおりた。
「そうか、2割の人は私のこと絶対嫌いなんだから、がんばらなくていいんじゃん。それに、絶対、私のことを好きな人がいるのか。そんなに多いのか、意外だな」と思って、安心できたのだ。
しかし、私は、残りの6割に対して、苦手意識がすごくある。
この、「どちらでもない」人たちの中にいることが苦痛である。
今は、他人は他人のことをそこまで気にしてなどいない、と、頭では理解できるようになっている。
私と同じように「他人から見えている自分」を、少しでもまともに見せようと、いっぱいいっぱいの人もいるはずだ。
つまり、自分がどう見えるか、自分はどう振る舞うことが正解か、を考えることで頭がいっぱいなのだ。
おそらく、他人は、私がどう振る舞おうが、そんなに気にしないし、どうでもいいと思うだろう(突然、トリプルアクセルを決めるとか、バク宙とかしない限りは)。
それでも、私は「いい人」になりたがる。他人を気持ちよくさせる気の利いたことをしたいと思ってしまう。
この、「どちらでもない」6割の人に向けて、それが顕著に起こる。
できれば、私の作業なんか放り出して、その他人の動向を観察して、常に気の利いたことができる状態にしておきたい。
そんなことしたら、相手が気を遣ってしまうだろうから、作業をしながら、他人の方に常に気を配り続ける。
次は何を出してくるんだろうか?
なんて答えて欲しいんだろうか?
そんな気を張るようなことをしてるから、疲れるし、好きか嫌いかはっきりしない、どちらでもない他人に苦手意識があるのだ。
友達よりはちょっと距離があって、プライベートなことはあまり知らない、けど、全然知らないわけじゃない、みたいな他人。
同級生とか、仕事仲間とか。
たぶん、そんなに、難しく考えることではないのだと思う。
別に、私のことが気に入らない人はいるだろう。それはそれでいいはずなのだ。求められているわけではないのだから、気の利いたことが言えなくたって、いいはずなのだ。
それなのに、「いい人」でいたい私は、6割のどちらでもない人の中に入るときに、勝手に緊張して、疲れてしまう。
ドトールは知っている人がいない。
「いい私」でいることで、好かれたいと思う人は、ここにはいない。
人のいる中の方が、ダラダラ作業しないで済む。
ただ、知っている人に会う気力はない。
そんな時に、私はドトールに行く。
席とりの時にめちゃくちゃ緊張するけど。
最後に、カフェの中なら、ドトールが俄然安いし、ひとりの人が多い気がする。
ひとりで時間を使う人が沢山いる。
私は孤独じゃない、という安心感にお金を使っている。
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