飢餓の村で考えたこと 51.52
1976~77
まるで江戸時代?
ポイラ村で米を脱穀しているところを見た。庭の土は牛のふんと土を混ぜたもので塗ってある。表面は固くなり埃もしないできれいだ。お米の脱穀はまず刈り取ってきた稲穂を相撲の土俵のように円形に積む。
牛を2頭連れてきて稲穂の部分をぐるぐる回らせながら牛に踏みつけさせる。人はその牛を操って一緒にその土俵型の周りを回っていた。牛が踏みつけることによって脱穀するという。
この様子を見て私はまるで江戸時代にタイムスリップしたような錯覚を覚えた。ポイラ村の生活が江戸時代の生活に似ているのではないかと想像した。
もしそうだとすると、江戸時代って自分が想像してきたことよりずっと人間らしい生活がされていたに違いないと思えてきた。現在では江戸時代の庶民の生活に大いに興味がわいている。
不条理なできごと
貧しい人たちがどんなに頑張っても未来に希望が見えてこない。そんな不条理なことの連続がこの国では次々と起こる。この不条理を今すぐ解決する方法は見つからず無力さを感じてしまう。
こんな時私は自分の心のバランスを保つために、こんな理屈を考えて自分を納得させるしかなかった。
NGOとは片足を先進国に置き、もう一方の片足を最貧国においている。そうしながらNGOの財布は一つなのだ。だからNGOの活動現場では、もともと存在する先進国と最貧国の矛盾が集中して現れる。
この矛盾は本来は先進国と最貧国があること自体の矛盾なのだ。だからNGOの活動現場は不条理なことにも耐えていかなければならないのだというわけだ。こんな言い訳を自分で作りながら心のバランスを保っていたのだった。