誰でも、いつでも | しょんかね節/唄いはじめ 9 | 東京から唄う八重山民謡
ある日、わたしは「しょんかね節」を唄うと、みょうに眉間が疲れることに気づいた。「しょんかね節」はコンクール最高賞の課題曲の1つで、難曲である。難曲だから節回しに苦悩してしまい、つい眉間にシワが寄るのだが、たかがシワを寄せただけで眉間に疲れを感じたことは、ほかの場面では経験がない。だから、とうとうわたしにもあれが来たのかと胸が躍った。
あれとは「ウムイ」、漢字で書けば「思い」のこと。節回しがおぼつかなかった新人賞のころを除けば、ほぼ年がら年中、師匠に「唄にもっとウムイを入れて」と口すっぱく指導されている。
ウムイが入れられるように、師匠は歌詞の意味や歴史的背景を丁寧に解説する。そうか、「しょんかね節」は別れの悲しみを詠っているのか。それなら目一杯悲しみで頭を充満させて唄ってみよう。と試みるのだが、難曲ゆえに、ここはちょっと力んで、ここはしっかり高音を出して、などと節回しに懸命になっていると、唄が間延びしてリズムが崩れ、リズムを保とうとすると節回しがいい加減になり、ごちゃごちゃ考えながら唄うから、一向にウムイが入らない。
それではどうすればウムイが入るのか。節回しを安定させるべく練習を重ねながらも、絶えずウムイを入れようと意識し続けなければいけないのだという。そして唄にウムイが宿った暁には「ウムイが顔に現れる」のだと師匠は説く。
たしかに表情を変えずに唄ったら、唄が硬くなるのはやってみるとすぐにわかる。かといって、三線を構えて、姿勢よくまっすぐ前を見て唄っているのに、顔だけオペラのようになるのも、演技がかっていておかしい。そもそもウムイにまで気を回している余裕がない。でもウムイを入れねば、と願い続けて2000回近く唄ったころに、眉間の疲労に気づいたのである。これがウムイであるならば、ようやくウムイが宿ったのであり、ウムイでないのなら、まだ節回しに苦悩中ということになる。
島の先生方から聞いたことばに「千回唄えば暗譜できて、二千回唄えば自分の唄になる」というものがある。これを優秀賞に合格したばかりのころに知り、2年後の最高賞受験に向けて、最高賞の課題曲全8曲を1000回ずつ唄おうと目標に定めた。先人の教えの通りに1000回唄ったら、きっと暗譜できるはずだと自分に暗示をかけたのである。1000回唄ったから覚えたのか、1000回唄ったことが自信になったのかはわからないが、たしかに暗譜できた。
もちろん、1000、2000という数字は例えであって、数え切れないほど繰り返し唄わなければ到達しない域があることを指しているのはわかっている。数多くの唄を情感を込めて唄う師匠や島の先生方が、その域に達するまでに費やした時間ははかりしれない。わたしも1年でも早くから八重山民謡を始めたかったと、思ってもしょうがないことが去来する。
師匠は、そのまた師匠である先生の節回しを後世に受け渡すことに心血を注いでおり、座右の銘の「技の道一筋」「好きこそ物の上手なれ」も受け継いでいる。2000回唄い続ける心持ちを的確に表している格言だと思いながらも、歳を重ねてから習い始めたわたしには、師匠がたまに言う「誰でもできるようになる」が心の支えになっている。
師匠は高校時代に入門したそうだが、他所者がそんな年齢で八重山民謡にめぐりあえるなんて、親きょうだいが先に始めてでもいない限りほぼないだろう。だからどうしても、始めるのが遅い。すでに40歳を超えていたわたしは、軽く楽しむだけにしておこう、のめり込んでも仕事になるわけでなし頑張るだけ無駄だ、と入門当初は冷淡だったところがある。
というのも、大人になってから手をつけた習い事はたいてい、仕事に役立つか、健康維持に役立つか、そのどちらかだったからだ。仕事時間外も、キャリアアップの手段を探し、周りに蹴落とされないためのスキルを身につけようと必死で、体調を崩して仕事に穴を開けることがないように体づくりに関心が向いていたのだ。気を抜いたら失職してしまうと怯えがちなのは、就職氷河期に社会に出た性ともいえる。
一方で、四六時中張り詰めている日々に、心底くたびれ果ててもいた。だから師匠に「八重山民謡に癒しを求めてるんですね」と見抜かれたときにはホロリとした。いくつになっても始められるし、仕事と関係なくてものめり込んでいいし、人と競わなくていい。「誰でもできるようになる」は、自己責任社会で常に崖っぷちに立たされていながら、心だけでもここから抜け出したいと願っていたわたしにはマジックワードだったのだ。
気持ちの赴くままに弾いて、唄っていたら、弾き手が疲れなくなってきた、声が大きくなってきた、息継ぎが減ってきたと、自分なりのペースで上達を感じられるのが楽しく、だからついつい練習をしてしまう。
思えば、八重山民謡を始める前は、鼻歌は歌っても、それ以外に歌うことなどほとんどなかった。音痴だと思い込んでいたから、苦手なことを他人に悟られまいと、頑なに隠していた。それなりにステップアップしたこともあるが、いまでは人前でも平気で唄い、なんなら調子っぱずれになったところを他人に聞かれても、恥ずかしくはなっても、落ち込んだり怯えたりはしない。
うれしいときに唄い、気落ちしても唄い、唄に支えられ、励まされる毎日を送っていると、暮らしの労苦を唄に織り込み、唄いながら自分を律し、唄い継いできた人々を、実体として想像できるように感じている。