暮らしを映す | くいぬぱな節/唄いはじめ 8 | 東京から唄う八重山民謡
現在では島民が15人ほどしかいないという新城島は、定期船の運行がないこともあり、わたしはいつか行きたいと憧れ続けているだけでまだ行ったことがない。その新城島を詠った「くいぬぱな節」は、まだ見ぬ風景を描写しているからこそ、想像力を掻き立てる。
織り上げた布を海で晒す女性がいる光景は、写真では見たことがある。カッと照る太陽の下、エメラルドブルーの空と透き通る海、白い砂浜と雲と布。溢れんばかりの詩情だ。
この先、第2句になると今度は、男がタコを獲っている。第3句では男が愛人(第1句の女性とは別の女)にタコをプレゼントする。それを男の妻が見ていて、嫉妬して鍋や飯椀を割る、というのが第4句。なんだなんだ、この週刊誌ばりの不倫ネタの展開は。
「昔の人は、本当になんでも唄にするねぇ。すごいよね」と、さまざまな唄に対して師匠はしばしば感嘆するのだが、たしかに「くいぬぱな節」はすごい。第5句は第4句までとはまったく脈絡なく、丘から見下ろしていたら、白い百合の花かと思ったのが、女が身につけている白い下裳(かかん=巻きスカート状ペチコート)だった、とくる。風光明媚を詠っているのかと思ったら、オチは遠くから女性をじっとり眺めてたというわけだ。演奏会などではみんな大真面目な顔で斉唱しているが、内容は下世話トークなのである。
ともあれ島の景色に人間味溢れる人々の様子が重なって、えも言われぬ活気を放っている。こんな暮らしが眼前に浮かぶようなストレートな歌詞に、八重山民謡では頻繁に出合う。
さて、師匠とは見学の翌日からメール交換を始め、数回目のやりとりに、長文メールが送られてきた。まだ顔見知りになってせいぜい10日ぐらいのころである。三線の弾き方のアドバイスや、八重山民謡の豆知識に混じって、師匠の年齢や職業、石垣島にいたころの仕事などが、ずらずらずらと開陳されていたのだ。長さと詳しさにおののいた。こんなに詳細な自己紹介をしないと、師弟にはなれないということなのだろうかと。
ただその内容から、師匠は八重山民謡を教えることが仕事なのではなく、別の職業に就いていることを知った。ピアノ教室の先生の本業がピアニスト、というようなレベルではなく、完全に異業種のフルタイムの仕事に就かれているのである。レッスンが日曜限定であることの合点がいった。
東京で習い事をしようとするとそこそこ懐を痛めるものだが、師匠のレッスンはそうではない。稽古場として借りている施設の利用料などの最低限の経費分が賄えればよく、レッスンで儲けようという気はなさそうだ。
世知辛い都会にいながら、そんな清貧の思想でいいのだろうか、とつい心配になるが、聞くところによると八重山では生徒は師匠の家に集まって無料で習うのが普通のことなので、それをできるだけ東京でも踏襲しようとしてこうなったようだ。
教室運営は商売じゃないから、師匠は別の仕事をしているのだし、島にいる先生方も現役世代の方なら、他の職業に就きながら空き時間に教えている。暮らしを映す民謡なのだから、師匠も生徒も一介の生活者である前提で、教えたり習ったりして伝えていく。さすがは民による伝承文化であり、一般的な習い事とは一線を画すのだ。
詳細な自己紹介をしないまま入門したが、けっきょくは転職や家庭内の状況が変わるたびに、レッスンを休む連絡のついでに話すことになり、そんな形で師匠のもとには生徒たちのプロフィールが蓄積されていることだろう。さまざまな人間模様を耳にしているせいだろうか、師匠の唄う「くいぬぱな節」にはひときわ情感がこもっている。