砂塵小説家のモノローグ
「砂塵小説家のモノローグ」というタイトルをつけましたが、砂塵を舞台にした小説を書いているわけではなく(それだと、壮大なテーマの小説を書いているようでかっこいいのですが)、まるで砂塵にいるように、見通し悪く、いるかいないのか、わからない。そういうポジションにいる小説書きのモノローグだという意味です。
そのように理解していただければと思います。
簡単なプロフィール
最初に、簡単なプロフィールを書きます。
小説を書いています。紙の本を4冊出版しています。「スズキ」「アナログガール」「よろこびのなかにもかなしみが準備されている」「極北」(いずれも櫻門書房)。
それらの本は、amazonで、販売しています(ときたま品切れの場合もありますが、すぐに入荷します)。また、めがね書林というネット書店でも、販売しています。めがね書林は、基本的に私の本だけを取り扱っている個人書店で、amazonで取り扱っていない本も、ここでは扱っています。主として、文学フリマ用に作成した書き下ろしの手作り本などです。私のサイン本も売っています(私のサインになんて、何の価値もありませんが)
リアル書店では、中野ブロードウエイ3F、タコシェさんで取り扱ってもらっています。タコシェさんは、サブカルが中心の、小さな、でも素敵な書店です。
私は、大学在学中(日本大学芸術学部)から仲間と同人雑誌を立ち上げ、小説を書き始めました。やがて文芸雑誌の新人賞に応募を始め、わりとあちこち応募しました。「文学界」「新潮」「群像」「すばる」「海燕」、どれも一次選考、二次選考は通過するのですが、最終選考には至らず。
たまたま応募した「早稲田文学」新人賞で、最終選考に残り、受賞は逃したものの、幸運にも「早稲田文学」に掲載されました。編集部と縁ができたので、新しく書いた小説は、「早稲田文学」に掲載してもらえるようになりました。
それと並行して、出身大学の日芸が発行している「江古田文学」にも小説を書いて、載せてもらいました。
その後、数年間の執筆中断時期がきます。その時期、友人が主催している劇団のパンフレットを作ったり、そのパンフに文章を書いたりしていました。やがて、書きたい欲求が溜まってきたのか、ごく短い小説、「スズキ」を執筆しました。たまたま目にしたUSEN朗読文学大賞に応募。奨励賞を受賞。その前に、先の「江古田文学」に掲載した中編小説、「私は、DJ、じゃない。」を大幅に書き直して、自費で出版。その本で、「エターナル文学賞」佳作を受賞。
「私は、DJ、じゃない。」は、当時大好きだったテクノ・ミュージックのクラブを舞台にした作品で、自分のホームページを作り、そこで販売しました。
文芸雑誌への投稿はやめました。そのときの心の動きを説明するのは難しいのですが、要するに、文芸誌の新人賞を受賞するのは無理だ、と自己判断をしたからだ、と思います。
ネットで小説を書くか、新人賞に投稿するかで、迷っているひとも多いと思いますが、ネット小説は、ともあれ、読んでくれるひとがいる、ということに尽きます。これは大きいです。読者のリアクションがある。拍手がある。あるからこそ、つづけられる。
新人賞の場合は、受賞すると、小説家になれますが、受賞作以外は、他人(世間)の目には触れない。ほんの一握りの作品だけしか、日の目を見ない。
他人に読まれないことは、意味がない、と思いました。むなしい、と。そういう思いがふくれあがって、新人賞への投稿をやめた(あきらめた)ような気がします。プロの小説家をめざして新人賞に応募するより、より多くのひとに、自分の小説を読んでほしい。
その後は、前出の「スズキ」「アナログガール」「よろこびのなかにもかなしみが準備されている」「極北」を櫻門書房より出版しました。そして、現在に至っています。
私のスタンス
同人(誌)小説家、あるいはネット小説家。私は、そのいずれにも少しずつ首をつっこんでいるので、そういえばそういえます。が、どっぷりつかっているわけではありません。
砂塵小説家というタイトルの前には、底辺小説家という言葉を使おうかとも思いましたが、底辺ですらないような気がします。そもそも文芸の世界にいる、と胸を張っていえるかどうかもわかりません。
小説家の卵、といういい方もありますが、それは作品を発表する前の状態の人をさす言葉であって、私家版とはいえ、本を4冊出している人間をさすとは、思えない。
同人(誌)に小説を書いている、あるいはネットに小説を書いているひとで、ヒット作がない場合は、自分のことをどのように呼んでいるのでしょう。
自称は、小説家でいいのかもしれませんが(本人の気持としては、それでいいと思います)、世間のひとはそうは思ってくれません。たぶん。
世間は、一流の出版社から本を出しているひとを小説家と呼ぶのであって、それ以外は、そうは呼んでくれません。心からは。
私は職業を持っています。こういういいかたは、いけないのかもしれませんが、生活費は、それなりに、あります。ので、小説書きは趣味といういいかたもできますが、私の場合は、趣味とは呼びたくありません。
なぜなら、楽しくないから。こんなにつらい趣味はない。趣味にしては、辛すぎる、と思います。小説を書く作業は、私にとっては、いつでも苦しい作業です。
ときたま、読者からTwitterやインスタで、ほめる言葉をいただくことがあり、そのときだけは気分が上がる。報われた思いがします。
ああ、拍手がきた。書いていて、よかったと思います。
そのようなことがあるので、私は、現在も、小説を書きつづけているのです。