この空気は、けっこうきつい
小説を書いていることを、周囲にほとんどいっていない。それで、とりたてて不便でもないし、問題も起こらない。
だが、たまにそとに出て、そのことをいわなければならない場合がある。
どちらかといえば、そちらのほうが、面倒くさい。
その日、読書会に出た。主催者に呼ばれたのである。
といって、対象の本は、私の作品ではない。高名な作家の、高名な作品である。
私を呼んでくれたひとは、私が小説を書いていることを知っている、数少ない一人である。
「なんなら読書会の最後に、本の宣伝をしてもいいからさ」
そのひとはそういった。その一言に、気持が動いた。私は、三月の下旬に「アラフォー女子の厄災」という小さな(薄い)本を出している。
この本を、多くのひとに届けたい。一人でも多くのひとに読んでもらいたい。一冊一冊を、心をこめて売っている。本当だ。
読書会の最初に自己紹介があり、私は、小説を書いている、といった。
無言が訪れる。どうせ自称だろう。あるいは、無名だろう、という沈黙である。
そのとおりだ。私は、世間的にはまったく無名の書き手である。
読書会では、対象の本について、まるでテレビのコメンテーターのように堂々と発言する出席者もいた。
私はそれなりに発言した。
読書会が終わり、私は、こういう小説を書いているのです、というようなコメントとともにカバンから本を出して見せた。気張って今まで出した本、5冊を持ってきていた。
ふうん、といいながらページをめくるひともいるし、表紙だけを見て、ページすらめくらないで回すひともいる。
出席者全員が、基本的に、私の小説に対して、1ミリの興味も持っていないのである。
この空気は、けっこうきつい。がつんと、メンタルにこたえる。
こういうときは、みんなが読んでくれるような小説を書くだけだ、と私は思うのである。