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1979年の夏休み
私の近刊「1979年の夏休み/下半身の悪魔」には1つの中編小説と、3つの短編小説が収録されている。
これは中編小説「1979年の夏休み」の冒頭である。
ぜひ読んでみてください。
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午前三時だった。熟睡しているはずが、眠りが浅かったようだ。物音がして目を覚ました。いつも隣に寝ているはずの人間がいない。秘かに私は怖れ続けていた。不吉な予兆を感じていた。こういう日がいつか訪れるのではないかと。私はベッドから降り、一歩一歩、音のするほうへ向かっていった。
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1979年の夏休み、その山荘に滞在することになったのはまったくの偶然だった。
毎日ひなたぼっこをしているダックスフントのようにどてっと窓際の席に陣取り、講義に出ていた。窓から校舎の外ばかりを眺めていた。教室によっては窓の向こう側には隣接する校舎の講義風景が眺められた。いつも思うのだが、隣接する校舎の講義のほうがずっと面白そうに思えるのはなぜなのだろう? ときどき隣接する校舎の黒板の文字を書き写している自分を発見することさえあった。その単語の羅列から何の授業だろう、と想像しては楽しんだ。講義が終わると、いつもいちばん最後に教室を出た。終わったとたんに席を立って出口に急ぐ、その情熱がなかったからだ。
ぼくは同学年の学生から「行方不明」と呼ばれていた。ひどいあだなだ。目の前にいるにもかかわらず「行方不明」。どういうことなのだろうと思うが、ぼくの生き方じたいが「行方不明」である、という意味なのだろう。揶揄する調子でそんなことを言う彼らに、ぼくは反撃しなかった。「行方不明」だったのは生き方ではなく、むしろ情熱だったのかもしれない。
折しもインベーダーゲームが日本中を席捲していた時代だ。ぼくは国文学科の新入生だった。ガイダンスで知り合った国文の仲間と喫茶店に行き、御多分にもれずインベーダーゲームの台の前に座っていた。千円札を百円玉に両替して台の上に置く。ゲームは一回、百円だ。百円玉がなくなるまで挑戦をする。眉間にしわを刻み、仲間はゲームの画面に対峙する。素早く、巧みにボタンを押し続ける。仲間はゲームに熱中する。ある男の端正な横顔を見つめる。ぼくは夢中になった。ドキドキしながら。
やがてぼくは国文の仲間と故意に距離を置くようになった。国文学科のくせに、教授に言われても国文関係の本は読まず、ラブレーの「ガルガンチェワとパンタグリュエル」やプルーストの長編小説を一冊ずつ抱えてキャンパスを歩くようになった。
長い小説がよかった。なぜなら、それを読んでいるあいだ、次に読むタイトルを考えずにすむからだ。すべてを忘れて、没頭できる。毎日、どてっとひなたぼっこをしているダックスフント。そんなぼくに付けられたあだなが先ほどのあれだ。
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