「年長者としての役割を果たし、人生の受容に向かう旅」
私の人生のミッションは
「年長者としての役割を果たし
人生の受容に向かう旅」
と定義しています。
その旅は、始まったばかりです。
「自分を活かし、自分を生きる」
ことの中に
、
年下の女性たちを支援したい。
少しでも役に立ちたい
という
想いがあります。
誰かに話を聴いてほしいと思った時に
「あの人に聴いてほしい」
「あの人なら聴いてくれる」
と思ってもらう存在であること。
人は人との関係性の中で、
成長し、自ら答えを導き出せる
と考えています。
その関係性を築ける
「話を聴いてくれる」
「誰か」で
いたいと思っているのです。
「誰かに話を聴いてほしい」
そう思った時、
その「誰か」をどうやって
選んでいるのでしょうか?
「誰かは、どんな存在」
ならいいのでしょうか?
話したい内容によっても
異なってくるような気がします。
楽しい話をしたいのか?
日常の何気ない雑談をしたいのか?
もっと深い「人生の悩み」
について話したいのか?
楽しい話や雑談の時には、
ある意味、人を選ばなくても
よいかもしれません。
ただ、
人生の深い悩みについて
話したい時、
「誰に話そう?
誰なら聴いてくれるか?」
悩むと思うのです。
そんな時の「聴き手」は
どうあればいいのか?
まず、真剣に相手の話を聴く
という姿勢は大前提です。
その上で、
必要以上に「受容や共感、応援」
をしすぎない。
「ただ、そこにいてくれる」
うなづきやあいづちも気配で感じるけれど
邪魔にならない。
静かだけれど
「いてくれる?」「聴いてる?」
という
不安にはさせない
「ドームのようなあり方。」
安心できるドームの中で、
話し手が、
自分の内面の奥深く入っていけて、
考えて自分で言葉を
紡ぎだすことができる。
自分で紡ぎだした言葉によって
気づきがうまれる。
そんな聴き手がいたら
安心して、深い悩みも
話せると思うのです。
アドバイスではなく、
自分で答えにたどり着いていく。
だからこそ、納得できるし、
納得したうえでの行動に結びつく。
人は、自分で自分の中に
答えを持っている。
けれど
「深い葛藤、人生の悩み」
であればこそ
一人で答えにたどり着くのは
容易ではないのです。
だからこそ、その内省に伴走して
サポートできる存在が
必要なのだと思うのです。
幸いにも私は、
そんな存在の聴き手である生田氏に出会い
深く内省する機会を得ました。
そして
「自分は何者か?」
の答えにたどり着いて、今の私があります。
今度は、私が生田氏のような聴き手になり、
年下の女性たちの悩みに寄り添い
お役に立ちたいと願っているのです。
「この人に話せてよかった」
と思ってもらえる
存在になれるよう
ひたすら
「一致的傾聴の聴き手」
としての修行を続けています。
それこそが、
自分の存在価値であり
ミッションだと信じて。
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