面会での父との会話②
二度目の面会は10月13日だった。
家で娘二人を見てくれていた夫、
またまたありがとう。
母と二人で待ち合わせをして
病院まで一緒に向かった。
土曜日だったので病院は外来がなく、
がらんとしていた。
面会室もあまり人がおらず、
父と母と私の3人でゆっくり過ごすことができた。
「コーヒー飲みたい」
会ってすぐに父が言った。
先日会った時は何も飲みたがらなかったのに。
父にカフェラテを買った。
それだけで、ただただ嬉しかった。
父は先日会った時よりも元気そうで、
私は少し安心していた。
聞いてみると、
「朝起きて、体操して、ぐるっと病棟を散歩して
ご飯も食べて、規則正しくしてるから」とのこと。
家だとついダラダラ過ごしてしまっていて、
散歩も三日坊主、毎日テレビの前で過ごす。
気付くと眠ってしまっていて、
「あれ?もう朝?」ととぼける程。
昼寝して、夕方になっていることもあったそう。
家に帰ったら家のマンションの廊下で歩いたら?と
私が提案すると、
「徘徊老人みたいで申し訳ないから嫌」と
笑っていた。
その代わり、ベランダで歩いたりはしていたらしい。
ちょっと狭くない?と思いつつ、
人の意見は聞かない、
やはり頑固なところが父なのだ。
一時期はマンションの敷地内を
散歩していたこともあったらしいが
飽きてやらなくなったと話していて、
「うちに帰ったら歩かないとね!」と釘を刺しておいた。
あとは、緩和ケア病棟の面談があること
在宅ケアのことも考えなくちゃ、と母が話していた。
父はまだ必要ないと思っていたようだが
「緩和ケア病棟と言ってもすぐ入れないのよ。
何ヶ月も待つことがあるんだから」と話していた。
訪問診療や在宅ケアについても
父はいらないと話していて母と喧嘩になりそうだったが
「家の近くにかかりつけ医の先生がいたら私も安心。
もし少し体調が悪くても、この病院まで来るのは
大変でしょう?」と説得し、
了承してくれた。
あとは病気のこと。
以前飲んでいたがんを抑える薬(タグリッソ)を
飲み続けている、ということ。
それを飲んでいる間は脳にがんは一切なく、
結果は良好だった。
しかし、効果が無効になり胸水が溜まったから
抗がん剤治療をしないと
余命半年といわれたのが去年の夏。
「治験で抗がん剤をやったから
がんが暴れ出しちゃったのかもしれない。
前の薬の時は脳は綺麗だったんだから」と。
担当医だけでなく、
脳神経外科の先生とも話をしたそうだが
父から話を聞いただけでは
かなりアバウトな解説でわからないことも多かったが
とりあえず父は前向きらしいことはわかった。
こういう時、担当医と家族というのは
なかなか繋がりがなく話を直接聞く機会もあまりないので
不安だなあと思った。
私は頻繁に病院に行くこともできないし、
連絡の取り方がわからないから困る。
そして、
病状が安定しているから
来週の木曜日(10月17日)に退院することが決まった。
嬉しい!
けど、病院にいた方が確かに父は健康かも・・・と
思ったりもして少し複雑な心境。
でも家も近くすぐに会いに行けるから、
とりあえずよかった!!
病院は乳飲み子がいる私には
面会も気軽ではないからだ。
それから父は
「仕事していないとダメだね、やることがない」
と言った。
父は自営業のため平均男性より長く働いていたと思うが
色々事情があり70歳の頃仕事を辞めた。
その時に父と母は、
私の家の近くに越してきたのだ。
「やることがないから
バイクを買ったり、
アーチェリーとか初めて見たんだけど、
仕事をしていないとダメだね。
旅行したくたって、
そんなしょっちゅう行けるほど
年金生活でお金の余裕はないし・・・」と。
仕事したら?って言ったじゃん!と私がいうと
「そうだね、探したらあったかもしれないけど、
その時はめんどくさくて」と笑っていた。
やっぱり人間というのは後から気付くらしい。
老後の自分の教訓にしよう。
面倒でも仕事はしていた方がいい、ということ。
家に帰ったら、
「デイケアみたいな体操したりするのには行きたい」と
父が言ったのには驚いた。
そういうのはあまり好きなタイプではなかったから。
「探しておいて」と母に言った。
何か予定がないと外に出なくなるからと。
「家の前まで車で迎えにきてくれるし」と言うので
そこは歩こうよ!とツッコんでおいた。
私のめんどくさがり屋は父譲りらしい。
気をつけよう。。。
父に何かしたいことある?と聞くと
「福島の温泉に行きたい」と言った。
友人が福島でお食事所をやっているようで
郡山に良い温泉宿も知っているから行きたいという。
歩けるようになったら、新幹線に乗って。
気付くと一時間半ほどだっただろうか、
あっという間に面会の時間が過ぎていった。
面会室からは眺めも良くて、
父と母と3人で過ごす空間は
なんとも心地よかった。
父がいつもの父で、
私も嬉しくて、
とても安心した。
良い時間だった。