いとか | 父と家族の闘病日記

2児の母、現在育児休暇中。大切な父との別れを意識するようになり、自分のざわめく気持ちを書くことで慰めたいのかもしれません。2016年に父に肺がんが見つかり、手術は成功するも翌年再発。投薬でがんを抑えるも、投薬抗体がつき2024年脳に転移。終末期となり、父との別れが近づく。

いとか | 父と家族の闘病日記

2児の母、現在育児休暇中。大切な父との別れを意識するようになり、自分のざわめく気持ちを書くことで慰めたいのかもしれません。2016年に父に肺がんが見つかり、手術は成功するも翌年再発。投薬でがんを抑えるも、投薬抗体がつき2024年脳に転移。終末期となり、父との別れが近づく。

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  • 父のこと

    肺がんから脳転移し、終末期になった父と家族の闘病日記。自分の心を整理するため「親との別れ」をテーマに綴っています。

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#1 プロローグ

「お父さん、癌だって」 そう母に言われてから8年が経過した。 父は今も生きている。 がんと一緒に。 2016年父は肺がんステージ4と診断され、 手術を受けた。 無事に手術は成功し、 体力が落ち、辛そうだった父も だんだんと元気を取り戻した。 「癌なんて切っちゃえばなんともない!」 肺の片方は半分なくなってしまったけど、 がんと闘った父は笑いながら体験談を話し、 周囲には気丈に振る舞っていた。 抗がん剤治療も終え、 体力も回復し、 仕事にも復帰した父。 闘病とい

    • 2024.11.5(3行日記)

      今日は朝方6時ごろ目が覚めた。最近いつもそうだ。目が覚めると父のことが頭をよぎり、胸がザワザワする。母から一日中ほぼ寝ている、と父の様子報告が来た。起きていることも辛いらしい。たった1週間でどんどん状況が変わる。今週、次女のお宮参りがあり、神社まで来てくれる予定だったが厳しそうだとのこと。来週、娘たちを連れて家に行こうかと思っていたが、どうなるかな。。長女の風邪が長引いていて、父になかなか会わせてあげられない。

      • 一人で歩けなくなった父

        「今朝オトンが一人で散歩に出て、転んだ」 10月23日に母から連絡があった。 体力を維持するためにも 毎日散歩してね!と私と母がうるさいくらいに言っていたので、 母が起きる前の早朝に父一人で出掛けていたらしい。 と言っても、マンションの敷地内をぐるっと 回るくらいなのだが 杖をついて歩いていたが トットットッとよろけて、 力が入らなかったらしく転んで おでこのあたりをぶつけてしまったらしい。 コンクリートだと危ないと思い、 必死の思いで草むらの方に倒れたそうだ。 そ

        • 3行日記(2024年10月31日)

          父と母が応援している大谷翔平選手が在籍しているドジャースがワールドシリーズ優勝した!!おめでとう!!!今日は病院の予定が入っていたのでYouTubeで見たそうだが・・・私はちゃっかり家でリアタイ。感動をありがとう!

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          家に帰ってきた父との時間

          10月17日、父は無事に退院し、 母と住む自宅に戻ってきた。 杖をつきながらではあるが 自力で歩ける。 いつもは地下鉄とバスを乗り継いで行った病院だが 階段も多く、不自由な足では危ないので、 その日はタクシーで帰宅したそうだ。 「ウーバータクシーを使おう」となぜかこだわる父と 「病院の前に停まってるタクシーで良いでしょう」と言う母の 小競り合いがありながら・・・ (父と母らしい) 無事に病院の前に停まっていたタクシーで帰ってきたようだ。 帰宅してからは、 自分でシャワ

          家に帰ってきた父との時間

          面会での父との会話②

          二度目の面会は10月13日だった。 家で娘二人を見てくれていた夫、 またまたありがとう。 母と二人で待ち合わせをして 病院まで一緒に向かった。 土曜日だったので病院は外来がなく、 がらんとしていた。 面会室もあまり人がおらず、 父と母と私の3人でゆっくり過ごすことができた。 「コーヒー飲みたい」 会ってすぐに父が言った。 先日会った時は何も飲みたがらなかったのに。 父にカフェラテを買った。 それだけで、ただただ嬉しかった。 父は先日会った時よりも元気そうで、

          面会での父との会話①

          父が10月1日に入院して、 面会に行ったのが10月4日のことだった。 転移した脳の進行が早いというので、 遠くに住んでいる兄も飛行機でやってきた。 生後2ヶ月の娘がいるので 家族3人揃っての面会は叶わないかと思ったが 夫が仕事先から帰ってきてくれて、 娘を見てくれることになった。 後悔しないように 「父が話ができるうちに家族3人揃って会っておきたい」と 思っていたから、 仕事の都合をつけてくれた夫、職場の方、 本当にありがたかった。 ありがとう。 父が面会室にやってき

          父との別れを意識した娘の気持ち

          父との別れを意識するようになってから 夢にまで父が出てくる。 愛おしくてたまらない我が子たちと過ごしていても、 友達や夫と楽しく話をしていても、 ふとした瞬間に父のことが頭をよぎり 胸がぎゅうっと締め付けられる。 父ががんになった日から、 そう遠くない父との別れを覚悟していたはずなのに 「来年の花火も一緒に見たいな」 「上の子が小学生になるのを見れるかな」 そんなふうに欲深くなっていた自分がいた。 私の結婚式で一緒にバージンロードを歩けた。 家族で旅行もできた。 孫

          父との別れを意識した娘の気持ち

          #3 父の肺がん手術

          「癌の状態は開胸してみないとわかりません。 もし血管に浸潤していた場合は、 手術ができないのですぐに閉じます。 結構腫瘍が大きいので浸潤している可能性は高いです。 手術がすぐに終わったら、切除できなかったと思ってください。」 母と兄と私は担当医師からこのように説明を受けた。 要は、手術がすぐに終わったら最悪。 手術時間が長ければ、ひとまず安心だ!!!! お願い。 お願い、お願い・・・!!! どうか癌が取り切れますように。 血管に浸潤していないで・・・ どうか

          #2 父の癌宣告

          「お父さん、癌だって」 ある日、夜遅くに自宅に帰ると母から言われた。 えっ・・・・? 父は今まで大きな病気もしたことがなく、 風邪とかもあまりひかないし健康な人だった。 毎日仕事の後にはスポーツクラブに行って、 大好きなゴルフの打ちっぱなしをして、 帰宅後は軽く晩酌をして過ごす。 自営業だからサラリーマンのようにストレスフルではないし、 休日はゴルフや釣りやヨットや その時々にハマっている趣味をやり、 好き勝手自由気ままに生きているような人だった。 「ステージ4の