私は私よ、の話。
少し前の話。
おろし立ての白のワンピースに、アイスコーヒーをこぼす。店員さんがメッセージを書いてくれたお手拭きを早速使う。
相変わらずそういうやつだよな、と思う。
多分これが平常運転。
これが私で、私はこれでいいんだと思う。
私は私よ、元々こんなよ。
前の健康診断を受けた日にふと、身体に特徴があるのと同じように、心にも特徴があるよな、と改めて思った。
身体的特徴には、その人の努力ではどうにもならないトコロがいくつもある。
背の高さ、耳の形、爪の大きさ、声の響き、そういうの含め全部。
じゃあ、心にもそういうことってあるよね?
根性論ではどうにもならないような、一人一人の特徴があってもおかしくないよね?
ポジティブ思考の人を強く羨ましがるきらいがあるが、それって私の特徴なのかもしれないと思うようになった。
彼らとは生まれた星が違うのだ。
いくら羨ましがっても、どうにもならない部分だってあるさ。それで悲しむくらいなら、割り切ってしまえばいい。
そりゃ羨ましいさ、自分を真っ直ぐ見つめられて、真っ直ぐ向かって行ける人はすごい。彼らにも悩みはあるだろうけど、私のようにとりとめもないことぐるぐる考えることは少なさそうだ。
でも、彼らにないものだって私にはある。
ぐるぐる考える中で気づくこともあるし、そのぐるぐるの時間があったから救えた人だっている。私のぐるぐるにだって、いいところはあるはずだと思ってる、思いたい。
それでも私はやっぱり、羨ましく思う誰かのことをぐるぐる考えている。
ああ、誰かになりたいって思うことをやめたい。
ちゃんと自分を愛おしいって思いたい。
私の心の心地よさは、どこにあるんだろう。
私は私よ!なんて言いつつ、まだ迷いはあるみたいだ。