伊富魚

漫ろな文を書いています。 カクヨムにはもっと雑に書いています。→ https://k…

伊富魚

漫ろな文を書いています。 カクヨムにはもっと雑に書いています。→ https://kakuyomu.jp/users/itohajime

最近の記事

茶会

君は椅子に座り、向かい合って茶を飲んでいる。部屋は方丈で、白く光が飛んでいる。卓にはカップとソーサーが二つずつ。茶を口に注いで干したのち、君は話し始めた。ある世界の価値観の中で凡庸なものを激烈に好む人がいたならば、ある世界の住人にとってはその人は狂人になるだろう。曖昧なままで堪える、その力があれば。「恋人」の中に「友達」を混ぜ、「家族」や「犬」や「花」を混ぜ、「苦悩」や「享楽」までも攪拌して、名付けようのないものとできるだろうに。———人間は可憐であり、脆弱であり、それ故愚か

    • 感覚器

      綺麗なものしか興味がない 醜いものははなからいらない 綺麗なものは本物で 醜いものは偽物だ 綺麗なものは正解で 醜いものは間違いだ  大学に本を返しに行こうと、人もまばらな八月のキャンパスを一人で歩いていた。暑さもピークの午後二時、蝉の声で一層不快になっていく気がする。すぐに返して家へ帰ろうと俯き気味に図書館の方へ向かった。どうして忘れていたのだろうか。知っていたはずなのに歩いていた。図書館は閉まっていた。とうとう頭が茹で上がったか、呆れながら踵を返して帰路につきかけたが、

      • 大学の友人がしばらく詰め込んでいたという西洋美術史を赴くままに読んでいた。ジャコメッティの《竿の上の男の頭部》の説明書きに「あえぐように口を開けながら上を向く顔は苦痛の叫びをあげているかのように見え」るとある。しかしこの男、笑っていやしないか。戦後に作られたこの作品は、生の危うさや不安を映し出しているらしい。しかしこの男の楽天を見るのは私の不埒な妄想だろうか。苦痛と恍惚は重なり合うということか。そう考えれば、笑いは苦痛でもあるということになる。一人の罪人をこそ救いの対象である

        •  街の喧騒の中にいると、微かな一音が尾を引いて残ることがある。  蝉しぐれの降る御所の中を歩いている最中、ひとつの抜け殻を見つけた。久しく間近に眺めた記憶もなかった。手に取ってみると当たり前のことながら軽い。背中の破れ目は乾燥しているのに、腹や目や口元の透けた薄毛は今でも動き出しそうに滑らかに見える。今降りかかった静まりの中にこの抜け殻の主もいるのだろうか。主はすっかりここになおしがみついている過去を忘れてしまっているらしい。いきなり方丈の中心で丸まって胡座をかいている背中が

          蝉の声と雲と青空。ああ、今に静まるぞ…光に包まれるぞ。戦争も知らない私が、どうしてこんなことを思うのか。無雑作に林立する樹木の奥に入道雲がグロテスクに見えはじめる。どこか遠い記憶のようになりかかる。あれはまだ幼い、二つか三つくらいの頃だろうか、両親に手を引かれて私はどこか遠い島にあるひまわり畑の中に立っていた。目の前の生々しい緑を前に私は動物的な興奮を覚えた。いつのまにか親の元を離れ走り回り、それに伴う苦痛に恍惚としていたのだろう、と今では思う。それからその恍惚の跡絶えた瞬間

           目の前に、鈍重な襞の束の降りていることに、いきなり気づいた。いつか上がるのその幕を、私はいつから見ていたのだろう。やはり遠く過ぎ去った記憶の底から私の前に座り込んでいたのだろうか。いきなり幕の上がる音が聞えてきた。そして私のすべてが束ねられた。終わりと始まりが束ねられた。小さな黒い光の差し込むひびのようなものが私の目に映った。そしていきなり解けていく。死んでいくその只中に生まれるのである。  こんな時の来るのを、私はなぜか知っているような気がしはじめていた。すでにどこか馴染

          おと

          死んだことに気づかずに生きている 終わったことに気づかずに鳴っている雷のように 瞬間の突き抜ける光ののち のそのそと鳴る雷のように 私は今もまだ死んだことに気づかずに ぬらぬらと生きているのではないか 光をのらりくらりと追う音のように 死んでいる身体を追いかける 声そのものなのではないか この私はいちどきに死ぬ瞬間に掻き込まれて はいお仕舞いと綴じられるのではないか 稲光ののちに遠く音の鳴るのを 気づけば耳を傾けて聞こうとするように 死んでいる私は最後に私の声を聞

          やりなおし

          君を前にすると うまく声が出せないんだ 君は楽しげに笑ってるのに 僕はいつも憎んでいる 口から醜く零れる声は 尖って痛いのに止まってくれない 君の顔が見えなくなる 曇って歪んで君がにじむ 願いは逆さに降りてゆく もう一度やりなおしたいよ かたち造られるその前に ずっと会いたかったんだ 君が生きててよかった うまく言えなかったから もう一度やりなおしをしよう ぎこちない声とこわばった手で もう一度 僕はいまでも間違いばかり だから君とやりなおしがしたい けれど

          やりなおし

          きわ

          叫ぶ 叫ぶ 空っぽの声で 見ないで 聞かないで くずれそうに 震えたまんま 壊れていく僕をその音を 見ないで 聞かないで 狂っていく僕をその音を 見ないで 聞かないで 君を忘れてしまう僕を 忘れないで 忘れないで 涙は尽きても まだ君は残っていて きれいなままで 消えてしまう前に 壊れてしまった僕の声でも 忘れないで 忘れないで  いやだ いやだよ 見ないで 見ないで 崩れ去って消えてしまう 醜く歪んで消えてしまう 空っぽの叫びだけが残って 君の世界から消え

          いのり

          君へコーヒーを淹れる 朝の日差しを背に受けながら 君の起きるのを待っている 道の途切れたその先へ 君の声は導いてくれる 闇の底から見た光が あの世で瞬きたゆたうように この世とあの世が 重なる境へ手をたぐる 繰りては掴み繰り返し すべりて落つる間の中に 君の安らぎの振れる 君の心だけを見続けている

          わたしのこえはふるえてる わたしのこえはまがってる わたしのこえはあなたをふるわせ わたしのこえはあなたをゆがめる きずつかぬようにこわばれば あなたのゆびをこわばらせ ふるえたゆびをちかづけると あなたはそっときずついている わたしのこえはふるえてばかり ふるえはあなたをなみへのせて とおくとおくへはこんでくれる わかっているの わたしはこのよをきずつけている もううんざりだっておもったって わたしはかわらずわたしのまんま このよはいつでもわたしのまんま ああ

          「星がきれいだ」なんてね

          星がきれいだ 僕が言う 雲がかかってきたわ 君は言う 君とみるから意味があるんだよ 言えない僕は笑ってうなずく ただ声に出せたなら 白い息に言葉が乗ったなら どんなに世界は色づくだろう けれど僕は黙ったまま 君の隣を歩いている 世界をあたためる言葉が ただ君のための言葉が 行き場をなくして迷子になって 星の夜に消えちゃう前に 声に出してもう一度 残された言葉を抱いて さあ声に出して歌ってみて

          「星がきれいだ」なんてね

          親と子

          こどもとおとなの境を越えて そっとあなたの手を握る あなたがそうしてくれたように 雪のような昏さを溶かして あなたとわたしの二人の時間が ともに進んでいくように 悲しみの微笑と 嬉しみの零涙を 役割じゃない ただのふたりの 死にあった瞬きのなかを 二色の絵の具が混ざるように あなたとわたしの過ごした時間が ゆっくり溶けて重なっていくの

          真宵

          散髪屋の匂いとつばをのむ音 ほてる頬とあまい眠気 真冬の夏祭りに溶け出す静かさ 夜の入り口のにおいがふくらむ こわばる唇のてらついた 青白い光に迷いを起こして もっともっと静かな森へ 崩れかけの淵を惑いゆくの

          君の声は歌になる

          君の声は歌になる 君の手すらも歌になる 放たれる言葉は宙を舞って 君のかたちをつくっていく ああどうか僕も一緒に 歌わせてくれないかな 僕の声も君の中へ 連れていってはくれないかな 覆い隠した言葉は 手足をなくしてもがき 塗り固めた年輪は いつか皺を重ねたことを忘れる 待って 君に言わなきゃならない 泥塗れの靴を見せなくてはいけない ねえ君は一体だれ? 喉の奥の沈黙がふくらむ 本物はかたく 偽物はやわい どちらも愛しい沈黙の子  年輪を刻む神木の徒 君の声は歌

          君の声は歌になる

          かなし

          涙のきみが離れてゆく日 閉じかけの目をこするきみの 細く柔いその髪を 今日もわたしは撫でられた 涙のきみが離れてゆく日 危うい日常にふらつきながら 歯をむき出し笑うきみの まっすぐに柔い声を聞けた 涙のきみが離れてゆく日 わたしは土に還るを知り まだまだ弱い幼子よと 今日もきみを追いかけてばかり ああ愛しのきみよ どうか眠るその時まで わたしを支えてくれまいか