伊富魚

漫ろな文を書いています。文系。 カクヨムも読んでみてね。→ https://kakuyomu.jp/users/itohajime

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最近の記事

囁き

燃える緑、掠れた過去の繁る遊歩道で、ただ純粋に、美しいと、いうことができる。失われたらしい原風景を、過去としてではなく現在に閉じながら開かれた地平として味わってよいのだ。今もなお燃え続ける緑が、路端の冷えた枯枝が、中空に広がる決して鮮やかでない黄葉が、ふくらみ、覆い被さり戯れあっている。こんな風景はいつも、ひどい睡気を誘うものだ。

    • 微かに白む谷間から

      うつあし、よぼろ、ひっかがみ、膝の裏のことである。名があるということはそれと世界を分ける故があったということだろうが、その故とは一体どんなものだろうか。膝の裏をそれ以外と訣した、そんな時代の昔話とは一体どんなものだろうか。大災厄のなか、へこへこと走り回る人々を描いた絵を思い出す。何かに振れ踊り出したものや目を瞠いたまま災厄の淵を振り返り固まっているもの、灰のけぶり舞う鉛色の空を仰ぎ走る母に引かれる子の姿。夕暮れの紫に暗んだ赤赤い空に土砂降りの降る、その中を踊り駆けるあの少年は

      • 水と山と、白い影

        ある夜、ついさっきまで確かに見えていたものに焦点が合わなくなることがある、というのにふと気づく。それから、子供の頃から焦点のあったものを構わず二重にずらす癖があったのも思い出しはじめた。その頃はコップからとめどなく溢れる水のような強引さに運ばれ、目の前の鮮明な物体を歪めてみることに惹かれていたのかもしれない。今、私を縛しているこの自堕落な歪みはそれとはまた異なる、力無く頽れる青草ような歪みだ。小さな違いはある時、致命的な裂け目になる。目の前の石ころが、目の前の文字がその与えら

        • 白天の下に

          回帰という言葉をどこかで聞いた。 遠い雲、田園、蛇……そうだ、あれは一匹の蛇だった。美しい翠の鱗がひらひらと揺れながら、湿った土を這いのびていく。知らない場所に私は果たして帰れるのか。記憶にもない田舎道を目的ありげに歩いている。先を行く蛇はやがて、暗い木賊の繁みの中へ入るともなく入っていく…… 動くことも憂い 生きることも死ぬことも やるべきことなどもなく 歩幅が次第にせまくなり ついに足が止まった 後ろを振り返ると 茫漠とした田畑に目が眩み 反射的に頭をもとの方へ捻ると

          ある秋の回想

          後ろを振り返ると 影はひとりで歩きはじめ その歩みに引きずられるように 彼女はその身体を影の方へと送っていく 影が湿り気を帯びたその穂先を伸ばした ある日 乾いた土道の終点 雑草の繁みとのその境い目に彼女は立っていた あれはどこかの田んぼ道だったろうか 空は無邪気に白い雨を降らせて 傍を流れる小川の水も うなだれる青い雑草も 彼女の目に憂鬱に映った 夏の盛りにしてはひどく冷ややかな昼間だった 彼女はもう一度振り返った 後ろにはもう影はいない そして影の消えたその隙間が いつし

          ある秋の回想

          外縁

          ある夜、シンクに置かれたままになったコップから溢れ続ける水を見ていた。普段から目にしている光景ではあった。ゴボゴボとふるえる時間、果たしてこの水は見えているのだろうかと、私は訝った。透明なコップは次第にその輪郭を曖昧にし、溢れているのは水であり、泡であり……いや、やはり何も見えていなかったのだ。水は、新らしく蛇口から滔々と注がれる水に揺すられ、混ぜられ、外へと溢れ出しかかる。その溢れ出かけては内にこもっていくような淫らな水に、私の眼はその場にとどまり、少しのあいだ、茫漠とした

          ほこりの立たない部屋は

          眠れない 美しい夜を遠目に 踏み荒らされた雪もなく 澄明な海に潜る 暴力ももっていない 彼女はただ眠れない夜に 座り込み どこか静かな処はないかと 目を閉じ音に身を委ねる 酒は飲めない 煙草も吸わない そんな夜に 白く冴えていくばかりの夜に シンクへ置きさしのコップから とろりと流れ出た水が 無音とも沈殿とも窒息とも狂騒とも言えないものが 彼女の胸を凌辱し 不安は孤独に耐えられず 彼女をまたその美しい夜へと 引きずりこんでしまう……

          ほこりの立たない部屋は

          満天

          この円環から抜け出さなければなかったのか、そもそも回る必要すらなかったのか。逆回する必要もなく、停止することもなかったのだろうか。飛び出すのか、どこへ、次の星へか、新しい世界へだろうか。眠れぬ荒野の日常に、彼女は何を問いかけるのか。何を語れというのだろうか。 調べに 虚空の 円環を投げ あなたは 喉に 手をあずける 悲しみの川は 白く照り 黒うい底に あなたの屑と 燃え残る灰と 踏みしだかれた雪 消えよと 散れよと 泥濘は泣く 塵は咽び 芥は喘ぐ 燃ゆ星月夜 白く灼ける空

          月青く、郷愁の月は、半月を過ぎ、満ち満ちてゆく、芳醇なさいごに、透明な、息を、ぽつり、届かない、永万の、吐露を、持てゆく、蒼香を、生白い、喉の熱と、キスに、満たない、豊穣の調べを、知らない、いまだ、知らない、狂奔の海へ、震えもない、光も、ない 朝、寝つかれない白い朝、閉じたカーテンと、ぬるい肌髪、天井に、月、眠れない、月

          朝日 潮の砌を思い浮かべた 鴨川に 街の星が降る 間に 鳴る命動の 果ては 金木犀へ 羽ばたいて 白いカーテンを揺する 朝だった 野に 赤い 百日紅の なきがらを 撫ぜ あなたは 忘れ 秋桜は揺れ 遠く 遠く揺れ 涙は 重みに 微睡み 薄暮を 望んでは 紫へ 囁く 鴨川の ほとりで

          玄景

          讃美歌の のびやかな青 醒めぬ しかばねに 待ち焦がる にべのささやき シベリアに 金木犀の 滲む声を 照らしたまふ のびやかな青 戻らぬ 永遠に 薪は 痺れをもよおし 移りゆく 酩酊は 沙羅双樹へ 枕し 滔々と 咲く 亡霊の花

          秋に古城

          晩夏 鈴虫に告げる 淫らな昏倒と ささやかな無常 無音のこえを 鳴らしたのは 昨日 長雨と 櫻葉 珈琲と讃美歌 もとの木阿弥に 免罪符は浸り 見えない 灯り 街並み 燃え滓に 沈む 野薔薇 ままならぬ ままならぬ囀り もずは 満願に 映え 吼えた跡は さかしらに 盗まれ 遠く 呑んだくれた 長雨に 揺られ もずは また 監獄へ 赴く 白樺の 焦げ みちのく 文字に 盗まれた 痕の 夕べ 涼みが 帷をおろす 遠路に 木賊の 望月に 慰むる古城

          遠景に

          寒空に触れ靡くあなた 漣は未だ見えず 名残が焼尽し 持て余した 何千の色を 抱え 歩く 耳元に 桜 凪いだ 閃光に 寄るまだらな 絵描き 灼熱は熟れ 猫の鳴き声は 桃の花のように 手持ち無沙汰を 嘆く いちどきの夕暮れ 最初に 覗いたのは 幹のさんこう 喉のぬめり 匙を投げる くずおれる泥濘 灰燼へのぼる 母の夕立 またの名を 眠り 未だ行方知らず 消えゆく漣 昔の 物語に 幸あれ

          翠蛇の鱗

          謎の自然な対等のまたとない円環に叫ぶ露地に今はまだ名付けのない裂け目と不安に盲目の橘、坂の途上、たんぽぽと盃、たちまちに戦場へ還る菜の花の青、街角、それから確かにまじかに手のひらから彷徨い歩く尋常、笹垣、警鐘、ただの木目、眼鯨、さもしい体温に持ちつ持たれつタンゴを踊る野分の月夜、三分の葦、二階の生首、二枚の葉書、たが並ぶ、獅子が岳、猛虎の湖畔、乳の匂い、眉間と弾痕晒したのは誰、尼の踊り子、泣き顔の夜、撒いた抜け殻、咲いた喧騒。

          夜の青い秋へ

          十月に咲く桜は慎ましげに、その夜へ佇んでいた。御所の南西、出水の小川の流れるその向かいの辺りだったろうか。薄暮に背中を追われ歩いていた彼の目が、ゆるやかに牡丹雪へつかまった。細枝に小さく咲きかけた白色の花は星雲のように、暮色の濃くなりまさる漠とした不安は彼の眼と鼻と耳を辺りに溶け出させ、その遙かに大きな木の下に身体を投げ出してしまいたくなる。するとどこからか匂う、凍てつく女神の青さから、彼の視界は、未だ知らない輪郭を縁取りはじめた。彼はそんなことも知らずにただ、か細い一本の眠

          夜の青い秋へ

          夜火

          彼らはキャンプの火を囲み、輪になり、踊り回っている。日は暮れ方、青黒い空を背に煙が一筋立つのが見える。彼らはそれを漠と見つめながら踊り続けていた。 それから火が消える。その顔は暗闇から振り向いた。白い平かな顔が、こちらを見ていた。あるいは、昔からある物語に繰り返し出てくるような、はぐれているのにも気づかず、日の沈むまで遊んでいた、その子どもの顔。彼はこの世のものではなかった。彼は火の消えたのにも気づかず、黒い石をいじっている。その顔は火の名残か宙に纏わりつくと同時、山奥の古池