他人との違いを知ることを異文化交流と捉えてみる【#20サービス過剰とは?】
新型オトナウィルスという番組をご存知ですか?
コテンラジオのパーソナリティである樋口さん(@HiguchiKi)と
教育業界でいろんなお仕事をされている古林さん(@ITeensKOBA)による
脳みそを刺激する危険で中毒性の高い番組です。
ネーミングもちょっと不謹慎でキャッチー。
毎回のトークテーマは「普段ならちょっと見逃してしまいそうなネタ」をディープに深掘り。
忙しい日常では流してしまいそうなポイントを良い感じで突いてくれます。
新型オトナウィルスではLINEグループがあり、そこに参加しているのは重症患者のみなさん。
その有志の人たちと、共同マガジンを作ろうという企画が立ち上がりました。
今日はその中でも”#20 サービス過剰とは?”についてをお題に書いてみたいです。
本編はこちらでどうぞ!
母親とだってわかり合えないのに、他人に押しつけられない
今回これを聞いて「母と娘理論(と勝手に名付けている)」ことを思い出しました。
これは、私が反抗期から相入れなかった母との気づきから出来上がったこと。
「親からの愛情の形は私が望む形のものではないこともある」
→親でさえ永遠にわかり合えないこともある
→他人なんてもっとわからん
だから、人には「対話とコミュニケーション」が必要。
母はなんでもできる人で、愛情深く、子供のために尽くしてくれる人。
今でも、子供の喜ぶことを全力でやろうとしてくれる人。
自分よりも、子供のために犠牲にしていくタイプ。
それは、とってもありがたいんだけど
●重たい
●ウザい
ということも多々ありました。
反抗期ど真ん中の時は、重たさを感じるたびに暴言を吐きまくったし、むちゃくちゃ喧嘩しました。
『どうしてわかってくれないんだろう?』
と、いう疑問がいつも私と母の間に流れていたように思います。
ただ、大人になるにつれて
「遠ざけるため、傷つけるため」に喧嘩をしていたことから
「理解をするため」の喧嘩に変わってきた。
結果、「親も他人であること」がズドンと腑に落ちたことで生まれたことです。
**あなたの感じ方はあなただけのもので、誰にも責める権利はない。
**
私の大好きな漫画、「違国日記」の大好きなフレーズ。
これは、他人との違いを感じてイラっとした時に心から取り出すお守りのような言葉。
本編でも、サービスが過剰な時に「要らん!」って思うこともあれば、
「いや、ここはサービスするタイミングでしょう」ということもあると言っていました。
私自身も外でそうやって感じることはあるし、母親に対していまだに「重たい」って思う瞬間もあります。
ただ、前提として「それは私が感じる勝手な基準」に立ち戻ることで伝え方もその後の対応も大きく変わってきています。
サービスについては
「なるほど、そうやって示すこともあるんだな」と受け取るようにし、
母については
「そんなに過剰にしなくても、きちんと愛情を受け取っているよ。ありがとう。もっと自分を大事にしてね」と伝えるようにしています。
●イラっとする時
●自分と違う意見を持っている人に違和感を感じる時
これは、「異文化交流」
そして「自分の器が広がっていくタイミング」だと受け取るようになりました。
もちろん、できた人間ではないのでムキになることもあるけど、反省して振り返る時間を設けられるようになっただけ大人になれたのかな。
大好きなシーンをもう一つ貼って今回は終わりにします。
「あたりまえってことは何もない」