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聴く人の声を聴くということ

最近さぼり気味のジジです。


さて、これまで書いた記事は以下の通りです。

今回は、ようやく一時保護所の現状について書こうと思ったのですが、

少し予定を変更します。


今日は、「聴く人の声を聴く」というテーマです。


1.聴くというテーマ

 これまでの記事の中で中心的なテーマにしてきたのは、「聴く」ということでした。

 その中でも、一時保護所の子ども達の声に注目して、その声を聴くということを考えてきました。

 その声は音声的な声に限らず、ダンスなどの多様な表現でした。

 聴くとは、全身でその表現を受け止めるということでした。


2.子どもと職員の声を聴くということ

子どもの声を聴くということに試行錯誤をしている一時保護所ですが、

1つ私は疑問に思うことがあります。

それは子どもの声を聴くように大人の声、職員の声も聴けているだろうか

という疑問です。

子どもも職員も同じ人間です。

とすれば、子どもに対しても、職員に対しても、

その声を聴く姿勢は原則変わらないものであるはずです。


3.子どもに話を聴くように職員の声を聴くということ、また職員の声を聴くように子どもの声を聴くということ

ですが実際はかなり異なっているように感じます。それは4パターンあると思います。

①子どもの声も職員の声も丁寧に声を聴いている

②子どもには丁寧に話を聴くけれど、職員に対しては聴かない。

③子どもの話は聴かないけれど、職員の話はよく聴く。

④子どもの声も職員の声も聴かない。


理想は①のはずです。子どもの声を聴きつつ、職員の声も汲み取りながら、両方の声を聴くことで好循環を生んでいけること。これが大事なように思います。①を好循環的傾聴と名付けてみましょう。

しかし、多くは②~④に当たることが多いのではないでしょうか。


子どもの声は、「調子に乗るから」「言うことをきくと際限なくなるから」などとして聴かないにもかかわらず、職員の声だけは丁寧に拾い上げる。②を内輪内傾聴と名付けましょう。

また逆に、子どもには丁寧な対応を取りながら、職員の声はぞんざいに扱うというパターンもあります。③を、子どもへの逆差別的傾聴と名付けましょう。

最後は、子どもの声も職員の声もないがしろにしてしまうパターンです。もはや誰の声を聴くことも諦めてしまったパターンですね。虚無的傾聴とでも名付けましょう。もはや自分の内なる声すら聴けていないのかもしれません。


4.だからこそ職員同士で声を聴き合う

理想は①のパターンかと思います。

ではそれをどう実現できるのか。

私は職員間だからこそ、声を聴き合う体制があることが大事だと思っています。中でも同僚間での聴き合いが大事なように思います。


心理学では、「パラレル・プロセス」という言葉があります。

例えば、カウンセラーとクライエントの間に生じた気持ちや関係性が、

スーパーバイズを受けるカウンセラーとスーパーバイザーの間に生じるというものです。

(理解が間違っていたらごめんなさい)


これは現場に応用できる考え方なのではないかなと思います。

一時保護所でいえば、

子どもと職員の間で生じた関係性や気持ちは、職員間や上司部下間と相関関係にあるということです。

これはマイナスでいえば、

子どもと職員の間で声が聴けていなければ、職員同士で声をかけることも難しくなると思います。また逆に、職員同士で声をかける文化がなければ、子どもと職員の間で声を聴ける余裕も生まれないです。

一方プラスに考えれば、

職員間で声を聴き合える体制になっていれば、職員が子どもの声を聴く余裕が生まれる、逆に子どもと職員が声を聴ける関係であれば、職員同士で声を聴ける関係も生まれやすいということになります。


このプラスなパラレルプロセスを目指していきたいものですね。


それではまた。 ジジ

毎週金曜更新


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