夢の息づく場所
目が停まった。
数あるうちの、一つの題名に。
『植物癒しと蟹の物語』
透明で澄んだ言葉の並びをしていた。
この表紙と背表紙の間に詰まっている文章は、私の中へごく自然に溶け入り、奥深くに真実と呼べるものをしっかりと置いてくれそうな気がして手を伸ばした。
いや、もしかしたら本当はただ癒やされたかっただけかもしれない。私の迷いや虚しさを、この本なら受け止めてくれそうな気がしたからかもしれない。
ーーー
植物を癒やしてまわる猫がいるらしい。
酷く憔悴した花や木の話を聴いてあげることで癒やすのだという。花や木が憔悴、と引っかかったかもしれないが、植物というのは、ヒトの言葉に込められた想いや考えを深く理解して、ものすごく丁寧に聴いているそうで、街中に溢れる辛い言葉を聴き続けると、やがて枯れてしまいさえするのだという。
『あらゆる言葉の中でも致命的に植物を枯らせてしまうのは、』
私の目は、続く文章の上に停まる。
『ヒトが「沈黙」という形で叫ぶ最後の悲鳴です』
最後の悲鳴を聴き続け、ヒトの心とひとつになり、焦燥しきった植物に猫は言う。
おひるねをしなよ、と。
眠ったらいい、目を開いているか閉じているかの違いだけで、いつも僕らは夢を見ているんだよ、と。
花は静かに眠りに落ちてゆく。いや、眠りについたのは、彼女が聴き続けてきたヒトかもしれない。
ヒトはこの世に生まれ落ち、服を着る。流行りのブランドを身に着ける。幻を求めて旅する者たちは皆『Reason』というブランドを選ぶ。闇を旅する者たちは『Nothing』というブランドを選ぶ。『Reason』は様々なデザインやカラーで展開されているが、『Nothing』は目に見えず、透明だ。
ヒトは生まれた意味を確かめたくて、あらゆることの意味を探し出したくて、旅を続ける。いつ辿り着くかもわからない光へと向かって。
しかし、もしその光が実在しないとしたら。幻だったとしたら。陽炎に映っている幻だったとしたら。闇の中の真実が、闇に燃える炎の熱や水蒸気に反射して地上に浮かび上がった幻だったとしたら。
私達が旅するべきは深い深い闇の中なのかもしれない。この世の深い闇の中。自分の奥の闇の中。
ーーー
猫はある日、蟹と出会った。
蟹はある男性の背中にリュックサックのようにくっついていた。
蟹は彼の時間を食べて生きているのだという。彼から生まれたという蟹は、彼を慕い、彼を愛し、彼の明るい未来を願っているのだが、彼の時間を食べて生きるしかない。蟹は彼の未来を食い潰す、彼の病なのだった。
男性は癌を患っており、蟹はまさしく癌であった。そして、彼の時間を食い潰し、彼を早い死へ追いやる自分を責めていた。
死期が迫り、男性は徐々に透明になっていき、蟹も徐々に透けていった。そしてとうとう、男性に蟹の姿が見えるようになる。
蟹は恐る恐る彼に訊いた。こんな俺を恨むか、と。するとそれを聞いた男性は腹の底から笑ったのだった。
夢の息づく場所が違ったのだ。
未来に夢を見ている人は大勢いる。私もそのうちの一人だろう。彼方の幻に恋するように、遠く未来に夢を見ている。夢とは未来だ。
しかし彼は違った。
彼の夢は現在に息づいていた。今、何を選ぶか、何を感じるか。そうやってひとつずつ選び取ってきた、歩んできた、叶え続けてきた人生なのだった。彼の人生は夢なのだった。彼は今現在も夢を見ているのだった。
『目を開いているか閉じているかの違いだけで、いつも僕らは夢を見ているんだよ』
猫の言葉が浮かび上がる。人間は今というこの瞬間にも、夢見ることができる、夢を叶え続けられる生き物なのだ。
ーーー
猫にもうひとつ出会いが訪れた。
車椅子の少年だった。
彼はずっと植物を癒やす猫を探していたのだと言った。彼は自分の植物を猫の前にもってきた。珍しい、青い薔薇だった。
その薔薇は最近元気がなくなり、ひと言も喋らなくなったのだという。この薔薇の言葉を聴いてほしいということだった。
しかし猫は、この薔薇は喜んでいるのだと伝えた。ヒトは透明な部分を植物に預けるが、少年はそれをしていなかった。花は満たされ、喋る必要がなくなり、ただただ咲くだけでよくなったのだった。
少年はスケッチブックを開いた。
『ボクはずっと君のようなものをみんなにも見えるようにしたいと思っていたんだ。目には見えなくて、透き通っていて、でも確かにそこにある、明らかなものを』
少年は書き始めた。猫の話を聴きながら、夢中になって書いた。書き続け、書き続けた。そのうち彼は、楽しさのあまりに立ち上がった。まるで、ずっと足が不自由だったことすら、すっかり忘れたかのように。そして書き終わるとスケッチブックを車椅子の上に置いた。
透明になった少年と猫と蟹は歩き始めた。そして長い長いお喋りをしたのち、彼らは闇に溶けて夜とひとつになっていった。
体が透けていくこと、闇とひとつになること、それは死という恐ろしい現象だろうか。以前の私は確かに、それを恐ろしいと感じていた。あまりの恐ろしさに、そのような現象を想像することさえためらった。しかし、この物語を読んだ今、私は以前とは正反対の場所にいる。
体が透け、闇とひとつになるということは、私たちが向き合いさえすれば、こうしている今も起こりうることなのだ。
それは、自分の中の奥深くにある真実を見つめ、本来の自分に戻るということなのだから。私たちは、いつでも夢を見られる生き物なのだから。夢の息づく場所は、今なのだから。
今、私は闇が怖くない。
暗闇の中には確かに存在すると知ったからだ。目には見えなくて、透き通っていて、でも確かにそこにある、明らかなものが。
あとがきを読んで、また表紙を開き、じっくりと読みました。
猫が、植物が、蟹が、ヒトが、少年が、闇が、真実が、この物語が、より一層愛を纏うのを目にしました。