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【不吉なカラスの羽】
犬の散歩をしていた。
夕暮れと夜の合間の薄暗いアスファルト。連日の雨の名残りの水溜り。一瞬、白く細い骨のようなものが足元に現れてぎく、と立ち止まる。
恐る恐る覗いてみると、それはカラスの羽根だった。まだ乾ききらないアスファルトの黒さにひたりと同化する黒い羽からくっきりと浮き上がる真ん中の白い羽軸。それが、一瞬骨に見えたのだった。
「不吉……。」
無意識にその言葉が口から出た。私は犬のリードを少し引っ張る。無意識に足が早まった。
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小学生の私の通学路は、大きな公園を突っ切るコースだった。頭上を杉の木が覆い、足元にはヘビイチゴ。雨降りには大きなフキの葉をバリンとむしって傘代わりにした。当然傘代わりにはならずびしょ濡れ。「熱が出たら明日の学校休めるかな。」友人とクスクス笑いながら帰った。
その公園には、カラスの羽がよく落ちていた。
「うわカラスの羽見ちゃった。さいあくー。」
「ぅわー。お前の母ちゃん、死ぬかもよ。」
子供の世界は、大人が思うよりずっと黒く、底なしに深い。
軽率さや残酷さを全部混ぜ合わせるとこんな深い黒になるのだ。
これを見たら親が死ぬ…これをしたら呪われる…三番目のトイレには…コインが勝手に動いて……思いつきから始まったような言い伝えを本気で信じたり軽くあしらったりして子供の世界は出来ている。
私達の想像の中では目に見えないものが大きな居場所をもっていた。現実と想像が混ざり合う中に生きていた。親は幾度となく死に追いやられたし、子供は幾度となく呪われた。
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不吉だな、ととっさに口にし、足早に通り過ぎた時、ふとある人のインタビュー記事を思い出した。彼はイギリスのミュージシャンで、体に鳥の羽のタトゥーがある。そのタトゥーの由来を尋ねられていた。
「幼い頃、庭で鳥の羽を見つけるとおばあちゃんがいつも言ってたんだ。良いことがあるわよって。鳥の羽は幸運を意味するのよって。」
犬が道端の草を喰む。猫じゃらしの葉っぱ。彼女がこれを始めると結構かかる。揺れる猫じゃらしをぼんやりと眺めながら、ぼんやりとそれが霞んでいくのを感じた。
イギリスと日本を行き来しながら、幸運と呪いの間を行き来しながら、思考はぼんやりと霞んでいく──。
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言い伝えや迷信、いやそれだけでなく、慣習、習わし、伝統、文化、宗教、つまりは私達を取り巻くすべてのものは受け売りかも知れないと思う。
それらが人類共通のものではなくて多種多様であるということが、その証拠だと思う。
その土地で培われてきた「当たり前」。
そのコミュニティ独特の「当たり前」。
生まれ落ちたその日から、親や親戚や世間から、あらゆる色を塗られて塗られていく。彼らと同じ色を。やがてその色は皮膚から染み込み、血液中に流れ、私自身になっていく。そうなるとこの色は、ちょっとやそっとでは抜けない。大抵の人間が、その色のまま生涯を送るだろう。
わたしだってもちろんそうだ。
たかが鳥の羽くらいを足早に通り過ぎようとする。
イギリスの彼だってもちろんそうだ。
たかが鳥の羽くらいをその体に刻もうとする。
どちらが正解というわけではなく、それが人間という生き物の特徴なのだろう。
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「九」という数字は本当に不吉だろうか。
中国ではとても縁起の良い数字で古来より好まれてきたそうだ。九月九日は、長寿を願い災難を払う風習があったらしい。プロポーズに添えるのは九本のバラという話も聞いたことがある。
「四」という数字は、本当に不吉だろうか。
「死」を連想させるからか、日本では昔から恐れられ、敬遠されている。
それなら「四」は「しあわせ」の「し」だからと、四月に結婚し、車のナンバーにも四を入れる私の寿命は危ういだろうか。
コミュニティ全体が信じきる、脈々と流れる「当たり前」には大きな魔力が宿るような気もするし、同じ人類が生まれた場所が違うだけで真逆の「当たり前」に縛られる様は、懐疑的な面もあるような気もしている。
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