大学生になったら、付き合ったら、しなきゃいけないの?
7月14日。
昨日のバイト。
お客さんが全然来なくて
よくシフトが被る2人の娘を持つパートさんと性について話した。
私の母と同じくらいの年齢の彼女とは1週間に1.2回は同じシフト。暇な時間が多いから彼女とは学校生活やお互いの家の事情や昔の恋愛の話などいろんなことを聴いたり話したりする仲になった。
そんな流れで性についての話になった。
私のその行為についての知識は
ドラマのシーンで見たことや
最近になってよく流れてくる切り抜き、
友達の初めての時の感想だけ。
高校生まではこういう性に関する話になってもそれは半分ネタで、冗談だった。
彼氏のいる友達に聞くことと言ったら
「キスした?」くらいだったし、それ以上のことなんてもう少し大人になってからの話だと思っていた。
でもあっという間に大学生になって
周りも地元に帰ってする、"恋バナ"
というものの中に段々とその行為についての話題が増えた。
そして誰から聞いても出てくる "痛い"
という言葉がそれに対してのイメージになった
どうして痛いのにするの?
大学生になってから付き合うってなったら
それをしなきゃいけないの?
そういう疑問と不安を持って、私は友人達の話を聞くようになった。
そして、私にとってその不安から"付き合う"というハードルさえもどんどん高くなった。
バイト先の彼女は昔付き合って人を思い出して、そういう行為にしか目がない人もいたし本当に大事にしてくれた人もいたと言っていた。
だから、私は自分の持っていた疑問と不安を正直に全てぶつけた。そんな質問を他の人や友達にしたことがなくて少し恥ずかしくなりながら。
「痛いのにどうしてその行為をするんですか?しなくちゃいけないんですか?」
すると、
彼女は私の話を聞いて笑わず、真剣な顔で、
「確かに、私も初めては痛かったし、なんでするの?ってふと我に返って気持ちが冷めてしまったときもある。何故か、『お母さんごめんなさい』って思ったことだって。
けれど、その行為が生まれるのは"行為"をするために一緒にいる人ではなくて、恋人という自分と相手のお互いが好き同士の人と互いに触れ合って、安心しあって、心を許し合う、そういうものの延長線上にあるものなの。だから、自然と愛されてるとか幸せとかそういう気持ちになれるの。」
それでも私はもう1度彼女に聞いた。
「でも、痛いんですよね?」
「本当に好きな人と肌と肌が触れ合ってるとね、痛いというものにも勝る、自分の心が幸せに満たされるような気持ちが出てくるの。
まだ、百ちゃんは本当に好きな人に出逢ってないのね。だからまだ大事にとっておきな。でもね、百ちゃんが『嫌だ』と言ったら絶対にしない人では無いとダメよ。そして、例えその行為ができなくてもいいのよ。必ずしないといけないことではないの。その行為が出来なくて、百ちゃんのことを嫌いになったり、怒ったりした人が居たとしたら、その人との関係はそれまでよ。
百ちゃんのことを本当に大切にしてくれる人、百ちゃんが大切にしたいと想える人と出逢って、そして、その人との触れ合いの延長線上でもう少し触れ合いたいと自然に想えた時に、自分で決めればいいのよ。」
と、彼女は私の目を優しく、真剣に見つめて言った。
私は自分が不安に思っていたことが少しだけほぐれた気がした。
負の感想しか聞くことがなかったから、彼女が言った
"自然と愛されているとか幸せとかそういう気持ちになれるの"
という言葉を聞いたとき、
"自分と相手のお互いが好き同士の人と互いに触れ合って、安心しあって、心を許し合う、そういうものの延長線上にあるもの"
という言葉を聞いたとき、
不安しか抱いていなかったその行為に対して
ほんの少しだけ"特別なものなんだ"という印象を持った。
彼女は最後に、
「付き合ってもその行為をどうするかなんて2人になった人間の数だけ、色んな形がある。だから、焦ることでも怖さがあることに不安を覚えることもないよ。
でも、人生の先輩から言えるのは"痛い"っていう悪いことばっかりじゃないよってことかな。幸せな瞬間も沢山あるの。お互いに本当に大切に想える人と出逢うときがきっと来るよ。」
と少し微笑みながら私の肩をさすって、言った。
大学生になったらでもなく
付き合ったらでもなく
お互いに想いあって、
その肌と肌の触れ合いの延長線上で
自分も相手も幸せを感じられたから
私の友人たちは"痛かった"と口にしながらどこか幸せそうな顔をしていたのかなと思った。
誰にとってもそういうものであってほしい
あるべきなのだと私は思う。
それではまた。
百。