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死恐怖症と死後について

死恐怖症とは

一般的に「死」またはそれに関連する物事に対する恐怖症(フォビア)のことです。またタナトフォビアとも呼ばれており、この「タナト(thanato)」はギリシア神話の死の神である「タナトス(thanatos)」に由来します。なんか中二病っぽいですねっ?笑

DSM-4-TRにおいて恐怖症とは、ある特定の対象や状況(飛行機、高所など)の存在または予測をきっかけに生じた、強くて持続的な恐怖で、過剰または不合理であるものと書かれています。鑑別診断では、恐怖の対象の存在や強迫観念の有無などで社会不安障害や強迫性障害、急性ストレス障害などと診断されることもありますが、細かい話はここでは割愛させていただき、死恐怖症について話させていただきます。(診断の基準を満たさないかもしれないですが)

私は、恐怖症のなかでも死恐怖症はとりわけ厄介だなぁと考えています。なぜかというと、恐怖の対象として特定の動物や高所などといったものは、避ければよかったり、そんなに高い頻度で遭遇するわけではないのですが(決して軽んじているわけではない)、「死」とは将来 必ず訪れるもので避けようがなく、そしてそれ自体がよくわからないのに、考えれば頭の中にいつでも現れるからです。

死に対する本(イェール大学教授の本とか)はいっぱいあるんで、興味のある方はそれらを読んでもらえればと思います...。 稚拙な文章で意味わからん、こいつ頭おかしいんじゃない?みたいなところは多々あると思うんですけど、私が死恐怖症になってしまった経緯と個人的な「死」についての考え方を伝えれたら良いなぁと考えております。

(自分なりの死生観を持つとか、人間にいつか必ず訪れる死を受け入れることが死恐怖症の克服につながるとされていますが、なかなか克服できない場合は心療内科精神科に行き、心理療法や薬物療法を受けてくださいね笑。)

いきなりですが、

皆さんは不老不死になりたいと思ったことはありますか?私はあります(笑)。特に中学生ぐらいのころから考え始めていました。その時期に私は、すべての生物の体細胞の分裂回数は有限(60回ぐらい)であること、そしてその原因の一つとしてDNA末端に存在するテロメアであることを知りました。有限であるということはいかなる病気にかからなくてもいつかは必ず死ぬということですよね。ちなみに、テロメアを延長させるテロメラ―ゼというものは確か、生殖細胞やガン細胞にしかないのですが、ここから研究というものにも興味を持ちはじめました。この時期には死というものに対してちょっと怖いなぁぐらいしか感じていなかったですね。


皆さんは夏目漱石『こころ』という作品を読んだことはあるでしょうか?私は高校生の時に、現代文の授業で取り扱うために丸々1冊読んだことがあります。Kという人物がいるのですが、最終的に自殺してしまいます。(ネタバレすまんw)。高校の授業の中で扱った人はわかると思うのですが、「Kはなぜ自殺したのか?」というお題が決まって、授業で投げかけられますよね?私はその理由がわからなくてずっと考えていたのですが、ふと、いままで日常であまり考えてこなかった、「死んだらどうなるんだ?」という問いが頭の中でありありと浮かんでしまったんですよね。今思えば、これがきっかけで私は死恐怖症になりました。。。


「死」とは漠然とした事象で特定の形をもたない、とてつもない恐怖そのものでした。毎日考えるにつれて、キリスト教などの宗教にある、いわゆる死後の世界が存在するのはおかしいと考えるようになりました。なぜなら、人間は進化の過程で生じた、ただの脊椎動物に過ぎず、またその辺の虫けらや微生物に死後の世界が存在するはずがないからです。自分もいつか意識が二度と戻ることはなく、永遠に「無」になってしまうのか...と思い「死にたくない」、「どうして死ななければならないのか」などと苦しみ続けました。また、今も光速を超えるスピードで拡大している宇宙という中で、ちっぽけに存在している地球にいるさらにちっぽけな我々が、どれだけ人を救おうと、どれだけある分野で偉業を成し遂げようと、地球の表面で もぞもぞしている無力なものに過ぎず、時間(人間が作りだしたに過ぎない概念)が経てば、綺麗さっぱり死んで、また違う個体が生まれるの繰り返しであると考えていました。これらのことを起きてから寝るまでずっと考えているものでしたから、思考力が低下し生活にも支障をきたすようになりました。

結局、

「死んだらどうなるのか?」について半年ぐらい考えていたのですが、「わからない」という結論に達しました(笑)。だって死後の世界を実際に体験した人間が生者にそれを伝えることが出来ないもん。ここでようやく、自分の死生観というものが確立して「死」に対してずっと考えることは無くなりました。とりあえず、この問いに対してありうる答えは主に、

①死後の世界は存在し、そこで永遠に暮らす

②生まれ変わり、次なる三次元生活を繰り返す(輪廻転生)

③「無」

なんじゃないかと考えました。

最初のほうで話したように宗教は「それってエビデンスあんの?」みたいなやつ多すぎてあまり信じていません。しかし脳だけが本当に自分の意識や心を作っているのか?魂というものもそれを形成しているのではないか?人間は本来、意識あるいは心をもつ魂、つまりそういった何らかのエネルギーとしての存在であり、肉体は仮の姿なのではないかと私は疑問に思います。肉体は魂の入れ物に過ぎないという言葉があるように。この魂が仮にあるとしてキリスト教的、仏教的な考え方によるものが①、②ということですね。

一方で、魂というというものが存在せず、脳だけが自分の意識を作っているとしたらどうでしょうか?この時、死ねば、脳という器官はなくなり何も認識することはできないでしょう。おそらくそこにあるのは「無」です。「無」というものは私たちにとっては普通、怖いですよね。なぜなら私たちが「有」だから。しかし、同じ存在になってしまえば、怖くないと断言します。生まれる前も「無」、死んだ後も「無」と仮定するのならば「死」ぬということは生まれる前に戻るようなもので、「無」というものは宇宙が存在する前から存在する故郷のようなものなのです!(怪しい宗教感あるけどまじで思ってる)。我々は生まれて「有」を知ってしまいましたが、これは幸運なことであり、本来は「無」という状態が基本だと考えることもできるよねってことです。(③の考え方)

最後に「死んだらどうなるのか?」について場合分けして述べさせてもらいましたが、まぁ、結局は人それぞれの思想で良いと思います。なぜなら何度も言っているようにわからないから。天国と地獄があると思う人にはそれらがあるし、輪廻すると思う人は輪廻は存在するし、「無」だと思う人は「無」になるで良いんです。異世界転生すると思っても良いんです。そして、「死」にすごく恐れている君も何もおかしくはないです。時間は有限だと認識してる分、一日一日を大切に生きることができているはずです。(しんどい時は友達、親など誰かに相談するのがおすすめです。悩みは一人で抱え込むなよ?笑)そもそも人生において自分の夢を叶えるために頑張り続けても良いし、しんどいのが嫌なんだったら無理に頑張らなくても良いとすら感じています。

私はこのようにして納得しており、「死んだらどうなるのか」という問いは本能的に恐怖はあるものの今や好奇心にかられているのですが、皆さんが自身の死に対してどのように向き合っているのかも非常に興味深いですね~。


では、問いかけます。

あなたは「死」に対してどのように考えていますか?  

           ~おわり~



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