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君子になるには小人と正反対の言動をとる

菜根譚より引用

前段16)分を守り、徳を積む
人から受ける処の寵愛と利益などは、控え目にして、他人をおしのけて先に取ろうとしてはいけない。しかし、これに反して、世のため人のためにすべき道徳や事業などは、みずから進んでこれを実行し、決して人の後になることなく、人より先にしなければならない。人から物をもらい受ける場合には、限度を越えて食欲の心をおこしてはいけない。しかし、自分のなすべき学問や修養については、決して自分の能力以下に減らすことなく、常に向上心をおこして、それ以上に精進することを考えなければならない。これが君子の行ないで、小人はこれに反するのである。

【引用元 講談社 菜根譚 著 久須本文雄】

君子になるには小人と正反対の言動をとる

小人と君子について調べると、以下のような意味でした。

小人とは、雑用に使われる身分の低い人のことです。

君子とは、学識・人格ともに優れ、徳行のそなわった人を指します。

小人と君子の違いは、一般的には権力や役職、置かれた立場などが挙げられますが、精神面での違いも重要だと考えます。

精神的な小人とは、器量や度量が小さく、日々の雑事に振り回される人です。

一方、精神的な君子とは、器量が大きく度量が高く、心に軸を持ち、周りの雑事に振り回されない人だと考えます。

菜根譚では、小人と君子の考え方や行いは正反対であると述べています。

では、君子だからこそ小人と同じような行動を避けるべきなのか、それとも小人の時から周囲とは異なる行動を取り続けたからこそ君子になれたのか—どちらでしょうか。

恐らく、最初から君子である人はいません。

小人の時から周囲に流されず、自らの信念に基づいて考え、行動を積み重ねた結果、君子になれるのでしょう。

きっと、まずは心の中で精神的な君子が育ち、それが社会の君子として成長していくのだと思う。

しかし、現代の日本の政治家などを見ると、小人としての経験も積まないまま、最初から君子を装っているような人が多いように感じます。

これが日本の停滞の一因ではないでしょうか。

菜根譚前段「分を守り、徳を積む」を読んで、そう感じました。

オススメの本

※ブログで紹介した久須本文雄著の『菜根譚』は絶版のため、岩波文庫の菜根譚のリンクとなります。


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