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田端さんとの面談から学んだ事のおすそわけ

先日、田端さんに「1on1面談」を行って頂きました。

私が聞きたかったことのひとつに「田端さんはどうやって今の様になったのか?」ということがあります。

これに対する一連の回答は、誰にとっても幾分か価値ある内容なのではないかと思うので、一部おすそわけしたいと思います。

ただ、面談時に田端さんはわりと酔っていた可能性があるので、真に受けすぎずに、雑記感覚でお楽しみ頂くのが良いのかもしれないとも思います。

(↑この後に面談は行われています。)

事前研究をかなり行っていたので、概ねイメージがついていたのですが。
その真相を聞きたいと昔から思っていたのです。

■「意味より強度」

面談での内容の紹介の前に、事前研究の内容を共有させて下さい。
田端さんの過去コンテンツで、私が好きなものがいくつかあるのです。

ひとつめはVoicy。サウザーさんとの人生相談バトルで、隠遁人妻さんからの人生相談にマジレスで答えるという内容のものがあります。

相談者の隠遁人妻さんからの質問は以下の通り。

「生きる意味が見出せない。」

隠遁人妻さん「生きることのモチベーションが低下してしまうのが悩みです。自分がなぜ生きるのかとか、特にどうやって毎日を楽しめばいいのかとか、この先特段やりたいことも無く、何かに没頭したいと思ってもすごい飽き性なので、いったん熱が冷めるとすごい虚無感に襲われたりしてしまいます。」

これに対する田端さんの回答を((下世話な要素を除いて))ざっくり言うとこちら。

田端さん「人生に意味ってあると思います?無いでしょ?無いじゃないですか。だから、その瞬間その瞬間、楽しかったら別にそれでいいじゃないですか。それを永遠に続けていくのが人生で。〜」

この回答。実は宮台真司先生の「これが答えだ!」という書籍にある「意味より強度」という言葉からだとのこと。

一部を引用すると、こちらです。

結論から言えば、意味がなくても--成功物語や貢献物語の主人公にならなくても--、強度--世界を濃密に体感すること--さえあれば人間は生きていけます。というよりも、人間はそのように生きることが伝統的にはノーマルです。ニーチェは、意味が見つからないから良き生が送れないのでなく、良き生を送れないから意味にすがるのだと喝破しました。
 ー「これが答えだ!」より

要は、生きることにさほど「意味はない」ということを言っています。

「その瞬間その瞬間をどれだけ濃密に生きられるか」が大事であって、それが結果的に後から「意味」になると。

これ、個人的にとても胸を打たれたのを覚えています。

SNSを見ていて、あらゆる方面で活躍する人々を目の当たりにする現代。

何かと「自分の人生に意味を持たせること」が暗黙のうちに強いられている気がしており、何者かにならないといけないという脅迫を自らに強いて、勝手に生きづらく感じている人は案外多いのでは無いでしょうか。

「意味より強度」という言葉は、そんな人をも救う言葉だと思います。

この言葉を回してくれた田端DJに感謝をしています。

■振り返って、本当に何も無駄なことは無かった。

私が好きな過去コンテンツをもうひとつ紹介します。

それは現在42歳の田端さんが「二十歳の頃の自分にメッセージを送る」という内容の記事で、過去の自分に語りかけるというものです。

この記事内で、先ほどの「意味より強度」と似た内容の話をしています。

スティーブ・ジョブズはそこから10年後に「Connecting the dots」ってことをスタンフォードの卒業式で話すんだ。
 (中略)
誰も、未来のことはわからないけれど、自分の今やっていることやこれまでやってきたことすべての「点」が未来で何らかの形で繋がると信じて、進めと。
 (中略)
今こうやって振り返っていると、言い方が美しすぎちゃうけど、本当に何も無駄なことは無かったと思うよ。
 (中略)
振り返ってみれば中学から高校2年生までやっていたボート部で鍛えられたガタイの良さがじつは生きていたりとか。
 (中略)
そのためにはきっと、何でも体験して、言いたいことは言って、いろいろやらかし続けて、自分の中に体験を残していくしかない。

要は、後から振り返ると「無駄なこと」なんて無いのだから、その瞬間瞬間に心にビビッときたことに対して素直になって体験したり、アウトプットしたりせよ!=「世界を濃密に体感せよ」と私は解釈しました。

これらの発言から、刹那的にその時々に楽しいと思うことを思いっきりやっているという一貫した姿勢があることに気付きました。

アドリブセッションはそれなりに上手くなる必要がある。

そんなこんなで、面談では「今の様になるために何か"計画的に"動いていたのか?」ということを聞いてみました。

すると、やはり計画的になんて動いてはおらず、出たとこ勝負の行き当たりバッタリを繰り返した結果、今の様に至ったとのこと。(笑)

ただ、ひとつだけ"教えてくれたこと"があります。

それは、アドリブセッションはそれなりに上手くなる必要がある、とのこと。

アドリブ。つまり、出たとこ勝負。これが下手すぎると、それはそれで結果が出せませんとのこと。そりゃそうですね。

「では、どうやったらそんなにアドリブ・プレイが上手くなれるのか?」と聞いてみます。

すると、そのためには、まず、それなりの「日々の含蓄」が必要とのことです。

田端さんをいつも見ている人なら分かると思うのですが、その知識の幅に驚かされますよね。

アイドルから歴史。戦略論から下ネタまで。本当に知識の幅が広いということは、いつも田端さんの発信を見ている人なら分かるはずです。

そして、もうひとつ。「アドリブが上手くなるためには場数しかない。」とも言っていました。

これらをまとめると、

「知識のストック量」×「実際の場数」

これらが「百戦練磨のアドリブセッションプレイヤー」になるための方程式なのかもしれません。

■みんな「感情の解像度」が低いのでは?

「知識のストック量」に関して。そもそもの「あらゆる体験」に対する基本のマインドが違うのかもしれないなと思っています。

たとえば、先週、田端大学Facebookグループ内で、「みんな喜怒哀楽が薄いのでは?」というコメントがありました。

何気ないコメントだったのでスルーしている方が多いと思うのですが、これは結構本質的なことなのでは?と個人的に感じています

もしかしたら、所謂インフルエンサーと呼ばれるような「人を動かせる人」は「日常の何気ない出来事に対する感度」が凄く高いのではないか?とすら最近思っています。

そういえば、はあちゅうさんも似た内容のことをインタビュー記事内でお話していました。

質問者「発信力をつけるためには、はあちゅうさんのように面白い日常を送るべきなんでしょうか?

はあちゅうさん「日常に大きな差はないと思いますよ。日々の生活の中で自分の好奇心に敏感になることの方が大事なんじゃないかと思います。」

つまり、同じような日常であっても、そこから得られる「洞察の数」がインフルエンサーの方々は圧倒的に多いのかもしれません。

また、人気ビジネス系ブログ「Book&Apps」でも「良い書き手」と「ダメな書き手」の境目を下記の様に結論付けています。
 (「説得力のある文章に必要な条件とは何か。」)

「良い書き手」と「ダメな書き手」の境目は、小説のような物語性、つまり「体験」「主観」「個人的に思い入れのあるエピソード」をいかに文章の中に織り交ぜて書けるかなのである。

「体験」「主観」「思い入れ」。
これらは全て、先の「世界を濃密に体験すること(意味より強度)」の内容にリンクする内容だと思います。

まとめると、インフルエンサーと呼ばれる方々は、

■世界をとことん濃密に体験し、知識や体験をたっぷりと日頃からストックしている。
■ストックした知識や体験を主観的に発信し、多くの場数(≒アウトプット)を踏んでいる。

こういった行動習慣を持つ人たちが「結果的にインフルエンサーと呼ばれる様になった」というだけなのかもしれません。

「世界を濃密に体験する。」

これこそが、発信者になりたい人にとって、まず最も大事にすべきキーワードなのかもしれません。

ーーー弱者の戦略ーーー

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板橋 洋輔 (いたちょ)
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