我を離れてていく
昨日のYouTubeについてアップしたところ、なんと敬虔なるエア寺の信者である夏堀さんからグラフィックレコーディングのプレゼントが届いた。
つくづくご機嫌なときの天才というのはすごいです。
50分のコンテンツがこの一枚にざっくりと凝縮されておる・・・。嬉しかったので、すぐこちらを一緒に収録した加藤さんにもシェアしたところ。
横田さん。
最近、やってること、起こってること。
これは、私の能力を超えた事ですよ。
色んなスペシャリストが集まって、
ポンポン発展してる。
このイラスト、凄いですよ。
私が話す以上の事が伝わりますやん。
エア寺も、論書の暗唱会も。
お寺の住職も、大学の教授も参加してるって、意味がわかりませんもん
我々は、我を離れて、為すべきことをしていけば、本当に大きな事が起こるかもしれませんね。
いやー、ほんまそれです。
なんかそういう流れなのかもしれないです。
わりと沢山のことをしてきたので、なんとなく感じることがあるんですが、やはり時流に乗るときやら、タイミングのいい時というのは必ずあるものであり、そういうときはなんだか力を入れてもいないのにスイスイと動いてくってことはあるものです。まさに自分の力を超えていると感じます。
一方で一生懸命に努力をしているのに、なかなかうまくいかない、一向に助け船が寄越してもらえないときもあって、これもまたなかなか趣深いものであります。こういうときは、勝手に自分が実現する流れを期待して、思惑通りに進まない運命を呪ったりしないかテストをされているように感じます。
世の中でみんなの力が高まり、個人の力が示されやすくなりつつあり、表現する手段も豊かになり、経験を通じてそれぞれが自信をつけていく。
そんな自信を培ったみんなの力が、徐々に合わさることで出来る素晴らしいことが、きっとこれから沢山生まれていくのだなと思います。
アフターコロナというか、もはやこれからはウィズコロナなんじゃないの?っていう話が出てきましたが、本当に僕もそう思います。そして今後もこういう感染症が増えていくことも全然ありえるのではないかとすら思います。
それが何を生んでいるのかというと、人と人との分断を生んでいる、という側面があるかもしれません。でもぼくの周りで動き始めていることは、分断どころか、つながりが生まれていることを確かに感じているのです。
批判をする人たちもまた手を取り合うし、業界を支援するための動きを起こしている人たちもまた団結し、オンラインで出来ることはないのか探そうとしている人たちの力もまた結集していくことを感じています。
手を取り合い、人々が団結し、多くの人の個性と能力が結集するとき、必要なことは「小さな我を離れること」だと思います。自分の虚栄心や顕示欲に囚われて、みんなから支えてもらっていることを忘れていれば、じきに人や大きな流れからくる不思議な支えの力は離れていくことになるでしょう。
ごちゃごちゃと頭で考えがちですが、やはり純粋な気持ちで、嬉しい気持ちで生きる人とともに喜びを分かち合い、生きる苦しみに嘆く人々を支えていくためにできることを、与えられた機会に放り込まれる度に、自分を整えて為すべきことを為すというシンプルなことをやり続けてお迎えを待ちます。
せやから、いかに生きて死ぬか、やで。