ただ過ごす中で気づくものがある
なんでしょう、日々なにか前進していないといけないような、何かが変化していないと生きてちゃいけないような気持ちに急き立てられるようなことは、誰しもあるのかなと思いますが、そういう気持ちにいかにして向き合えばいいんでしょうね。
僕は、ただ過ぎていくように思える日々に気づくものがあると思えるまでに、すこし時間がかかったような気がしますが、気持ちが落ち着いているときには
「こんな風に穏やかな日々がなぜこうも過ごせているのか。」
と考えることができたり、
「昨日と同じように過ごした気がするけど、実は全然違う。そしてそのことに心を向けられたことこそが、まさに昨日と全く違う。」
などと考えたりしますが、不安や焦りが出やすいタイミングにはそんな風には思えることもなく、モヤモヤとザワザワと感じるときがあります。例えば
「ああ、まじで何にもしなかった。なんだったんだろう、今日は。」
とか
「何もできなかった。時間はいっぱいあったはずなのに。」
とか
「どうしよう、こんな風にあっという間に時間が過ぎていったら、何もできないまま時間だけが過ぎていってしまうかもしれない。どうしよう。」
なんてことを感じたりもします。正直なところ、最近はそんなことを考えることはかなり減っていますが、減っているからこそ、それを考える機会の方が珍しい時間になってきていて、そのザワザワにとても敏感に気づく力がついたなと思います。
常にご機嫌に過ごし、自分のしたいことをちゃんと大切にし、疲れたら休みをとって、気分が乗らないなら何もせず、したいことを最優先していく。
それを続けていくと、自分の普段や当たり前が入れ替わっていく。それは嬉しいことでもあり、怠惰さを恐れたり、放逸して生きることの不安に晒されたり、色々と自分の中にある倫理観や常識に気づいていく旅路なのだと思います。
一日を有意義に過ごせたと思うもよし、穏やかに過ぎた平和な一日のありがたさに気づくもよし、同じような過ごした日々の中に生まれた微妙な感情の中に生まれた自分の倫理観を見つけるもよし、さまざまな過ごし方があるものだと思います。
本当に、観察していれば、いつもなにか観るものがありますね。
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![よこたいたる(お葬式研究家/呼吸の習いごと主宰)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/9273304/profile_4a7983a0438d0b342dc5fe5a87aec1bd.png?width=600&crop=1:1,smart)