ひまつぶしをしただけ好きになる
結局のところ、それだなと思う。何で暇を潰すか、そしてどれだけの本気で暇を潰そうとしたかによって、その特別さが違ってくるというわけです。
だから何かに愛着を持ちたいと思えば、そのことに真剣に向き合い、時間を割いて暇を潰すといい。するとそこに愛着は生まれていくことでしょう。
そして愛着はすぐに執着へと結びついて、他とそれとの間に違いを見出せるようになってしまい、それじゃないと嫌だなと思うようになるでしょう。
そのどうしようもない嫌悪感と、どうしようもない充足感の間にあるものに人は心をいっぱい使うんだなと思うのです。そして、それがいいとか悪いとかじゃなくて、そういうことなんだなというだけのことです。
悩ましさはそこに生まれるし、悩ましさがあるから刺激はあるとも言えるわけで、嬉しかったり悲しかったりするのが好きなら、悩ましさとは切っても切り離せないのです。嬉しかったり悲しかったりが好きなのに、悩ましいのは嫌いだというのを成り立たせるのはちょっと難しい相談ごとです。
だから悩んでいる人の話を聞くとき、「うん、本当は悩みたいんじゃない?本当は悩むのを味わってるんじゃない?」って思っているのです。
やりすぎて苦しくなったら、本気でやめればいいと思うから、口ではやめたいとか言ってても、実は楽しくて仕方がないのなら、それはもう本当に嫌になるまで続けるしかないよねと思っているのです。
だから「本当はやめたいのにやめられない」って言葉を聞く時があるけど、僕はそういうの素直には信じません。
楽しみにもなるし、苦しみでもなるってのは、まあそういうこと。
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![よこたいたる(お葬式研究家/呼吸の習いごと主宰)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/9273304/profile_4a7983a0438d0b342dc5fe5a87aec1bd.png?width=600&crop=1:1,smart)